ボブジョーンズの一年目が終って、ジョイスとで沖縄に行くことになっていました。バプテスト・ミド・ミッションにMAPというプログラムがあり、大学生が宣教地に行きベテラン宣教師のもとで訓練されるのです。私たちもこのMAPで宣教の仕事をやってみたいと思いました。
ジョイスは、宣教師になって沖縄に帰る召しは、まだ受けていませんでした。沖縄の教会の助けになることを考えていただけです。実を言うと、両親の方から姉に、今年の夏に是非来てくださいとお願いがあったので、姉はやりたいことを、あとまわしにして、先に沖縄に行くことにしたのです。
半年前(クリスマス辺り)に祖父(大城)が亡くなりました。この地上での最後の2年間は、神の子として暮らし、沖縄の親戚も証を見ることができました。そして、私たちの先に、デビー・イゲイの祖父・長田おじいちゃんに会いに行きました。ということで、今度沖縄に帰る時は、このおじいちゃんもいないということを知っていました。
瑠美子ねえちゃん、ワーラ先生の長女
代わりに迎えてくれたのが、長田おじいちゃんが導いてくれたまた従弟の瑠美子さん。神様のもとに戻ってきて3年になって、燃える信仰と明るい表情をもつようになって、神学校に行くことになっていたのです。その夏、ジョイス・ジャニス・シャロン(ワーラ先生の高校生の長女)・瑠美子さん・と自分で伝道チームをつくりました。
父が長浜という小さな村の真ん中に古い空き家を直して私たちが住めるようにしてくれたので、そこに一週間泊まり、朝6じから夜10まで色々しました。村の子供たちに話をしたり、トラクト配布をしたり、紙芝居を見せたり、手紙・ノート・カードを作ったり、工作時間をもったり、子供のキャンプを開いたりしました。
長浜村の空き小屋を直してくれた
シャワーというものは、屋根にある井戸からホースでとったもの、お湯はありません。台所には、流し、ガステーブル一つ、と冷蔵庫。トイレというものは、地面に穴があり、蓋がされていた、田舎の便所。沖縄の夏の蚊はひどいので、一日中蚊取り線香を使い、夜は蚊帳の下に寝ました。台風のため、戸締りして、両親の家に帰らなければならないことが2回ありました。(沖縄の台風は、本土の大雨と強風と違って、外に全く出られない程の嵐です。)
気温と湿度、生活ペース、考え方や言葉...ジョイスは4年間も島から離れていたので、環境の色々な違いに慣れるのが、一番大変だったでしょう。でも、そういうことは一つも尾聞きませんでした。ジョイスは高校2年の時に沖縄の三味線の弾き方を教わったので、夕方は、老人のいる家を訪問し、昔の歌を歌ったりして交わってきました。その三味線がなかったら、老人のいる家には入れなかったでしょう。
特に長浜というところは、線香を箱に詰めて家に送るバイトをしていったからです。村の子供に「まことの神様ただひとり、みなさん早く信じましょう」と歌を教える私たちが、歓迎されるわけが、ありません。
村でいじわるな子が5人いました。私たちが長浜に行ったとき、この子供たちは私たちの好意を自分だけのものにしようとし、他の子供を追い払っていました。真の神様、作り主、義なる神、救い主、愛の神...と教えながら、この5人は、すこしづつ変わってきました。
他の子供に優しく声をかけて伝道所に誘ったり、自ら周りをきれいにそうじしたり、人の前でも祈ったりするようになりました。親の悪口ばかりする子が、お母さんが美人、お母さんが大好きだというようになりました。僕はイエスさまのような心が欲しいという気持ちを、あるおとこの子はお話を作って表現しました。
この子供たちは、道徳的に変わっただけではありません。最初にイエス様を心の中に受け入れたので、聖霊が働いて子供達を少しづつ変えてくれたのです。数カ月で長浜の子供、特に問題だったこの5人を、深く愛するようになってしまって、島から離れることを、とても悲しく思いました。