2026年8月7日金曜日

太平アパート

高校を卒業するちょっと前に、一つの可能性があった:父が離島伝道の為に行っている、石垣島に住んでいるワーラ先生の所に泊まって、今年の夏は、しばらく一緒に伝道の仕事を手伝う。ところが、母は、すぐそれを却下してしまった。私はガッカリして、物置の裏に行ったのを覚えている。そこで一人で泣くつもりだった。急に小さな声で、バッグの中に何があるかと聞かれたような気がした。バッグの中?聖書だった。その時は詩篇139:2に開いて、自分が分からなくても、神様は私の「座るのも、立つのも、知っておられる」と、安心させられるようだった。 

高校卒業後の夏は、どう座ったり立ったり導かれるんだろうと、思った。大学学費を手にするためのバイトを探すことになっていた。 

私より先に仕事が見つかったのは妹。ギフトショップの店員だった。沖縄の文化にあわせて、現地人と米軍人両方を相手にできる、バイリンガルの人だと、就職時に特に助かる、店・銀行等で、¥とドル両方が扱われていたし、値札も円・$両方の値段が表示されていた。 

自分は面接に行った次の日から勤めた。太平アパートという所の受付だったけれど、やっぱりバイリンガルだったから、その仕事が見つかった。受付だけでなく、会計少々・電話オペレーター・ランドリーチェックの仕事もお願いされた。

ジャニスはEtc.という店・私は太平アパートでバイト

昼は、アパートのクリーニングスタッフのお弁当が来て、私は一緒にスタッフルームで昼食をすることにした。毎日お弁当を作って来なくてもいい、自分のお弁当も出たので。なんだか、そこのおばさんたちに特別可愛がられて、嬉しかった。一人、春子さんという人が救いのことをこう語ったのを覚えている。

 「私は本当は聖書の真の神様を信じているけれど、それを公にするのなら、祖先崇拝を止めて、神棚から位牌を下ろさなければならないから、それは中々出来なくてね、スゴク悩んでいるのです。」(数年後、また会ったとき、春子さんは、やっとこれが解決された見たいでした。輝いた顔で生きているイエス様が自分の救い主だと証していました。)

受付している間、心をスゴク痛めたのは、異端の人たちが来たときです。子供をロビーに遊ばせて、大人だけで部屋から部屋へとまわっていました。 

「この世になぜ苦しみ・悩みがあるか、ご存じですか?」という質問で話始めていました。 

ある日、ロビーでおもちゃで遊んでいた男の子が、急に宗教的質問を私の方に聞きました。私の反応を見ると、スグ黙って、「ああ、アナタタチには話しちゃだめなのね。」と言いました。既に異端の教理が教え込まれている、と思いました。 

このグループは、自分のことを「エホバの証人」と呼びますけれど、その時、強く感じました:早く大学に行って、訓練されて、エホバの正しい証人として帰ってきたい!その時までこのようなエホバの偽証人が何人沖縄に送られるんだろう。と、悔しく思いました。 

だけど、太平アパートのバイトで、一番多く時間を過ごしたのは、高宮城マネジャーとだと思います。あの受付デスクの裏の部屋にマネジャーのデスク、自分のデスク、電話オペレーターボード、接待エリアだったのです。務め時間のほとんどがこの裏の部屋に居たので、高宮城さんと、ゆっくり話すことができました。 

いま思うと、自分の比較的鈍感な性格は、ためになったのかもしれません。高宮城さんは、宗教・神様・聖書に対しての疑問を、そのまま表現しても、私は全然怒りませんでした、バカ正直に返事したり、分からなかったら、そう言っていました。 

急にボブ・ジョーンズに行くことになった時、高宮城さんは、自分をレストランにおごってくれて、もっと話したがっていました。霊的話は完全に理解できないけれどと、テーブルナプキンに自分が書いた救いの説明の図を、キープしてくれました。それに息子さんを、クリスチャン幼稚園に入れようかなと、言ってくれました。 

高校が終るまえに、石垣に行けなくなって、すごくガッカリしたけれど、離島に行ってたらこれらの太平アパートの祝福は、見られなかったことになるのね。やっぱり、わたしのすわるのも、たつのも、主に任せた方がいいみたい。 

実はまだまだありました。

すみません!

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