2026年6月13日土曜日

教えてくれたジョイス

いちばん最初の姉の記憶?既に私を教えていた。一年まえのショックから妹を守ってあげたいと思っていたのかな。


自分が産まれる前は、家庭の赤ちゃんは、姉しかいなかった。ところが、1歳のときまで両親の愛を独り占めしていたのが、急に変わることになった。マミーが病院から抱いてきた異様なものを、自分のベビーベッドに寝かされた。深く傷つけられ涙を流しているジョイスを見つけたマミーは、すぐ「可愛い妹」のいみを教えてあげたみたい。「いいオネエチャンしてあげてね」と。


翌年ジャニスが産まれたとき、「カワイイいもうとに良いオネエチャンするように」と、ジョイスが既に自分に教えていたので、マミーは何も言わなくても良かったみたいです。


妹たちが家の柱に住み込んでいるシロアリを怖がらないようにと、ジョイスは、面白い遊び方を見せてくれました。これは幼児時代の記憶です。シロアリを捕まえ、羽をもぎ取っていたのです!


スゴイでしょう。でも、その12月に、ダディーは黄色い3輪トラックの後ろからクリスマスプレゼントを下ろして、嬉しそうに言った:「今年からシロアリをおもちゃとしなくてもいいよ」と。え、なんで?あ、そうか!やったー!


やさしく教え続けてくれて、ためになったのね。神様、ジョイスのような姉をくれて、ありがとう。

2026年6月12日金曜日

説明、必要なかったかな?

 

ジャニス・ジューン・ジョイス

この説明、必要かな?私たちの家族のことを知らない人のために、書いた方がいいかも。父母は、私たち3人に、アメリカ・カナダにいる時、英語で話している時などのために、私たちに英語の名前を付けました。だから、ジョイス・ジューン・ジャニスという名前があります。学校教育は、英語だったので、使っている名前は、ほとんどの場合英語です。

ジョイス・さと子

だけど、日本語で生活している間のために、日本語名:さとこ・ともこ・あいこと、別の名前をくれました。姉は、父母が初めてふるさとに帰ってきてから与えられた赤ちゃんだったので、創世記28:15をとって、「ふるさと」からさと子という名前になったみたいです。

ジャニス・あい子

第一コリント13:13にいつまでも残るもののなかで、一番優れているのが愛とあります。妹は、そこから愛子と名前をもらいました。名前が決まったのは、妹が生まれた日の沖縄訪問者です。ちょうどその日、アイゼンハワーアメリカ大統領が、島にきていたそうです。アイゼンハワーのニックネームは「アイク」でした。「あまり関係ない?」そうかも。でも事実、来ていたの。

ジューン・とも子

「主を恐れることがちえのはじまりである。」こういうことばをつかう聖句は3つある。自分が好きなのは箴言9:10。「聖なる方を知ることは悟りである。」と終わる。宇堅の教会の姉妹数人が、自分が産まれた時、父母のところに来たと聞いてる。このみ言葉を差して、主を自分のちえとするように、智子という名前を付けてみるのはどうですかとプレゼントしてくれたそう。

自分の名前をくれた宇堅村のおばさんたち
(川端トミ・大城ヨシ・名護米子・大城澄子)

だから、ジョイスは里子のこと、ジューンは智子のこと、ジャニスは愛子のこと。そして、ダディーは父という意味、マミーは母!


大城ファミリー:マミー、ジャニス、ジョイス、ダディー、ジューン

2026年6月10日水曜日

当蔵の家・長田おじいちゃん・節穴

沖縄での最初の家は改造された浴場でした。半分が私たちの住まいとなり、半分が集会堂になっていました。いま考えてみると、とても狭い所。よく5人で住めたなと、思います。夜の集会が始まる前、母は私たち3人を寝かせました。すぐ隣の部屋から讃美歌が聞こえてよく眠れたな。眠れなかったことは、一度もありませんでした。神様、ありがとう。


当蔵の木造の家 (父の作った十字架が見える?)

木造の家は冷房なしでした。扇風機が熱風を吹きまわすだけだったと思う。服も畳もカーテンも、布団もいつもべとべとしているように感じました。そして、水たまりがあるところは、やはり蚊がいる。自分は皮膚が弱くて蚊に刺されたら、晴れたり、菌が入ったり、生んだりして、傷がむちに打たれたように見えたみたい。蚊は大嫌い。

蚊を食べてくれるいもりちゃん、大好き。いや、ホント。

父母は30代だったけれど、近所の人たちにとって、赤ちゃんに見えたみたい。真の神様の話をしようとしても、聞こうとしなかったので、母はハワイにいる、退職したおじさんに便りを送ったそう。年配の人たちの伝道には、どうしても助けが必要です、来てくれませんかと。長田のおじいちゃんは(母にとって、「おじさん」だけど)
すぐ来てくれた。


長田のおじいちゃんと自分

あの小さい家におじいちゃんの部屋が出来て、部屋のドアの下の方に節穴があった。はいはいしていた自分は、いけないことをしたために親に叱られると、あの戸に逃げ節穴に指を突っ込んで「おじい、おじい」とあいずしたそうです。

おじいちゃんは、泣いている自分をいれて、可愛がってくれて、そこで眠ってしまった自分は、目がさめたとき、前のことはすっかり忘れていた。これはしつけにならないと母をなやませたときいています。でも、かわいそうではないかとおじいちゃんは、私をかばってくれました。

報告

 報告します。「ジューン大城ともこ」をなくして、内容をぜんぶここに載せることにしました。日本語でうまく説明できないと思います。とにかく、これから、全てクリスチャンのために書いていくつもりです。なんだか解放されたような気...

未信者で、クリスチャンのために書かれたものを読むほど、ジューン大城ともこのことを知りたいという人はいないと思う。(冗談でしょう!)

*   *   *

ということで、次の話は、」早速、今日は木造の家からの話:「当蔵の家・長田おじいちゃん・節穴」です。インジョイしてください。

2026年6月9日火曜日

明日から「斎藤ジューン智子」を載せます

宣教師の子供として自分が沖縄で育ったことを、色々の短い、面白い話に書きました。誰でもよめるような形にしています。「ジューン大城ともこ」という簡単なものにしました。幼児期~小学6年のことです。

だけど、気が付きました。クリスチャンには、それ以外全然違う自分を知ってもらいたい、それに、クリスチャンじゃない人は、あまり興味ないかもしれないかも・・・ということで、どんどん、このブログでそれを書いちゃうことにしました。

えっと、「ジューン大城ともこ」の本ではないけれど、同じ人のことだから、これは、「斎藤ジューン智子」というタイトルをつけることにしますね。だって、実際、「大城」から「斎藤」に変わることも書きたいし。。。

今日は、ちょっと背景:

30年前、自分がスゴク精神的にダウンしていた時に、親友が、自分に証を書くように勧めてくれたの。自分のその時の精神状態は、とてもそんなことは考えられないと思ったけれど、することにした。

一つ大事なこと:当時は、自分がアメリカから宣教師として、日本に来たばかりで、言葉はうまくなかった、会話は、ある程度できたけれど、書くのは、勿論イングリッシュだった。困ったことに、この友は、英語が読まなかった。

自分はペンをとって書き始めた。神様が自分のために何をしてくれたかを書きながら、自分の言葉に励まされ、友人にも読んでもらいたかった・・・書くように勧めてくれた友に。気が付いたら、自分は日本語で書いていた。

「意味が分かるように祈りながら読んでね」と、友人にお願いして書き続けた。80ページ以上書いちゃった。

自分は暗闇の中から出て来て、数週間後、親友と2人で教会で特別賛美をしていた。このブログに30年前に書いたものを色々載せたりするけれど、友達にお願いしたように、今年の読者も同じように、日本語がわからないところを、神様がおぎなってくれて理解を与えてくれるよう祈りなら読んでくださいね。

友人?いまの作家の岩佐めぐみ。(ここで見えないけれど、長男の歩君が足元に居て、次男友君は腹の中にいるの!)

2026年6月5日金曜日

今年の敬真の誕生日(5月31日)

那覇空港、1995年          描いてみた

沖縄に来た時のあの写真はどこかに...あった!那覇空港で父母と映っていたのは自分と子供2人!もうすぐ撮影されてから31年になるのね。それに、真剣に絵を描き始めた頃の、子どものスケッチを見つけた。


絵を描いてあげるけれど      今年はそれどころじゃない

数年前の息子の誕生日に、FPSを描いて上げることになっちゃった。だけど、今年の敬真の誕生日が近くなると、嫌なゴキブリ(大きいヤツ)が数匹出てきちゃった。



退治してくれない      ハッピー・チョコレート・バースデー!

人間を銃で撃ち落とすのでなく、アリ、ハエ、クモ、ゴキブリ等を殺虫スプレーガンで排除するゲームがあってもいいんじゃないかな。だって、ゴキブリの英語のひとつのニックネームは「ミニビースト」なの。あ、今年の敬真の誕生日の為に描く絵は、決まった:スプレーガンで撃ち落とせるミニビーストのゴキちゃん。チョコレートケーキのプレートの前に立たせて、「ハッピーバースデー」サインは、ケーキの上に・・・

教えてくれたジョイス

いちばん最初の姉の記憶?既に私を教えていた。一年まえのショックから妹を守ってあげたいと思っていたのかな。 自分が産まれる前は、家庭の赤ちゃんは、姉しかいなかった。ところが、1歳のときまで両親の愛を独り占めしていたのが、急に変わることになった。マミーが病院から抱いてきた異様なものを...