このように、インドのことを考え始めましたけれど、同時に他の所5つの重荷を感じていました:
l アラスカ州(どのように、この重荷が与えられたのか、全然わかりません)
l 中国(沖縄に住んでいた時、いつも近く感じていたので)
l ハイチ(BMM入団時、Lorraine McDowellという宣教師にこの宣教地に引かれました)
l コートジボワール(西アフリカの国、宣教カンファレンスで、この国の宣教師の話を聞き、蒸し焼きシロアリを食べたことがあります。ベーコンビッツの味でした!)
l 共産党の衛星国(これらの国々での伝道の本を当時読んでいたので。)
中高生のとき、スポーツが好きだったので、体育の教師にもなろうかなと、考えることがありましたが、試合を忘れるほどジュディーに証することに夢中になっていた自分のことを思うと、やっぱりそれは、足りないと、分かりました。スポーツを教えて、空いている時間に心から愛していることをするより、フルタイムにそれをやりたいと、思うようになりました。ビナの顔を思うだけで、異教の国に思いが走る自分の心を見ると、やっぱり海外伝道に召されていると思いました。
「神様、どこにしますか。私はどこでもいいです。アラスカ、アフリカ、ハイチ、ヨーロッパ...」それとも、神様、もしかしたら...神様、もしかしたら、私が沖縄に帰って来ることを願っているのではないか...
大謝名の家から見える景色
神様がにこっと笑うのが見えるように感じました。
「やっと分かってきましたか。」と。「ジューン、なぜ沖縄に産まれてきたと思う?なぜ言葉・習慣に慣れてきて、この島の伝道に重荷をもつようになって、沖縄の人を愛してきたと思いますか。わたしは、ジューンのような人を沖縄に送ることができなかったら、いったい誰を送ることができるでしょう。」
あっそうか...。」
このように沖縄に遣わしてくださいと、祈ることができました。自分がやりたいことを選んだのではなく、神様がこの素晴らしい働きのために私を選んでくださったのです。私は、その指名に反応しただけです。
「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたを選び、あなたがたを仕命したのです。それは、あなたが行って、実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも父があなた方にお与えになるためです。」 (ヨハネ15:6)
ハレルヤ。この話、どうなってんの。涙とハレルヤばかり。ペンテコステ系に思われちゃう!