学校が始まってから、ジョイスにも、ルームメイトにも強く勧められたのは、ミッション・プレヤ・バンド(これからMPBと略する)でした。月曜~土曜食後30分集まり、宣教師からの祈りの手紙を読み、祈っていたのです。ヨーロッパ、ラテン系(南アメリカ)、太平洋島々、共産党国、極東アジア、アフリカ、イスラム教国、スカンジナビア、と色々なグループがあり、重荷のあるところを選び、そこの宣教師の手紙を読んでいました。
夕食後、各宣教地からの祈りのリクエストを天に持ち上げる
私は極東アジアの方に行き、時々は父と母からの手紙が渡され、沖縄のために祈ることができました。ジョイスは既にこのグループのリーダー(手紙を整理したり、2人のアシスタントを毎週集めて祈ったり、「極東アジア週」のメッセンジャーと連絡をとった)になっていました。
シカゴ市で会った特別な家族のジャン姉は、ラテンアメリカのために祈っていました。卒業後、エッドと結婚し、私たち3人と同じ時にバプテスト・ミド:ミッションに入団し、2人はブラジルの宣教師になりました。
私のルームメイトは、アフリカのトーゴという国に重荷がありましたけれど、当時、国の政府は、宣教師が国に入るのを許さなかったので、国の伝道のドアが開かれるようにと祈るしかありませんでした。卒業後、彼女はカリフォルニア州のクリスチャンスクールで3年間教師をし、その後、宣教団体から手紙を受けました。トーゴのドアが開かれた、宣教師の子供のための教師、できれば3年の経験のある人、が必要としているということだった。3年目が終ったら、彼女はすぐデピュテーションに入り、秋の学期がはじまるまでトーゴ共和国に短期宣教師として行っていました。
私は毎日極東アジアのグループと祈っていたので、後期からアシスタントをお願いされ、一年後、リーダーになっていました。もちろん、翌年、妹ジャニスがボブジョーンズに来たとき、MPBに紹介しました。ジャニスのそのときの3年生のルームメイトは、ノバスコシア(東南カナダの半島)の宣教師になりました。
でも、この学生団体を通して宣教のビジョンが広がるだけではありませんでした。他の恵みを味わうことができました。
男性リーダー・アシスタント・と女性リーダー・アシスタント(合計約50人)は、水曜の授業後、夕食の前、45分程集まり、新しい手紙が様々なグループに配られました。宣教プロジェクトのことを考えたり、学生宣教の重荷とビジョンのために祈ったりしていました。大学のすごいペースの中で、この集まりと、食後の祈りの時間は、心を沈ませて、ゆっくり祈ることができたので、さばくの中のオアシスのように、何となく感じました。(他の生徒からもその意見を聞きました。)
MPBのリーダーたち(Jan Buiter見つけた?前列のジョイスは?)
ある人は、勉強の時間がもったいないと思い、こういうものに参加しなかったかのですけれど、私は、かえって、これが新しい精神的ちからを与えてくれるものだったので、勉強がもっとよくできたと思います。
いちばん大きな恵みは、MPBの男性会長と選ばれていたジョーン・バーネットの模範を通して励まされたことです。(彼は3学期続けて会長として選ばれ、その後の学期も会長をお願いされていたのですけれど、他の人にさせた方がいいのではないかと、自ら会長を止めました。)このジョーン・バーネットという人は、救われる前、とても成功した、自信満々の、百万長者でした。全てを失い、神の前に遜らせ、救いと献身を知り、ボブジョーンズ大学に導かれた人です。その証はそこまでにしておきます。
私がいちばん深く影響されたのは、ジョーンの御言葉の愛。1年のときに寮の先生に聖句暗記をすすめられ、それをどんどんし、ボブジョーンズにいる間相当変わったそうです(ジョイスは、この人の1年生のことを覚えていて、そう言っていました。)
私の中2年のときのブラックストーン先生にまた会ったように感じました。ジョーンは以前の自信満々の姿は、見えません。みことばを心にたくわえる結果、彼はそのようなことを憎み、落ちついた喜びで輝いていました。
少しづつ分かって来たことですけれど、ジョーンは、毎日数時間祈って、聖書暗記は章ごとにしていました。ジョーンの行動を見れば見るほど、私も同じようなちからが欲しいと
願うようになりました。
共産党国特別集会の週、ジョーンは証をしました。昨年の夏、東ヨーロッパの国に行き、仕事を手伝ってみたことを。共産党の国では、もちろん、聖書は許されていません。しかし、ジョーンと宣教師は、国にいるクリスチャンに聖書を配ることになっていました。
「聖書を持っているかどうか聞かれた場合、そのことを嘘はつかないと、最初から決心していました。」とジョーンは言いました。「神様は、そういう問題を乗り越えることができると、確信していました。誰にでもそうしなさいと、言っているのではなく、私自身がそう導かれたということです。」
「でも、不思議なことに、聖書を配る仕事をしながら、その質問は、一度も聞かれませんでした。私が挨拶すると、アメリカ人と英語で話してみたいと、天気・景色・健康等の話をするだけでした。写真を写して友人に見せたいと言うと、笑顔したり、ポーズをとってくれたり、楽しくしました。」
「聖書の中に、主が盲人の目を開いたことが書かれています。しかし、神様は、見える者の目を閉じることができると、私は信じています。共産党の国に入る時、聖書のことを聞かれたら、はっきり答えると決めて、聖書を隠したりすることもしないと、決心していたのです。聖書をそのままトランクに入れたりしていました。」
「トランクを開けて中を見て、聖書が運ばれていることが分からないのは、盲人だけでしょう。国の境界線で、ガードマンが車一台一台を調べていました。違法の物が密輸入されていないようにと。ある日、前の車のホイール・キャップを外すほど徹底的に調べていました。これは時間がかかるかもしれないと、思いました。私たちの晩になると...」
『アメリカ人?』
『はい。』
『酒は持っていないでしょうね。』
『はい。』
『たばこ?小型銃?』
『持っていません。』
『通ってください。 次の車!』
「それだけでした。」
「境界線にちかづくとき、私たちは一生懸命祈りました。そして、ガードマンと一人が話しているとき、もう一人は、祈っていました。神様のすばらしい守りを、このように何回も見ることができました。」
「最初は、ストレスで疲れましたけれど、神様の真のちからが少しづつ分かってきました。でも、つかれたのは、これだけではありません。」
「聖書が禁じられている国に入ると、自分の聖書を毎日持ち歩き回ることは、もちろん、できません。悪の力に縛られた国に入る時は、心のちからのために、御言葉をとても必要とします。でも、その状態におかれたクリスチャンの助けとなるのは、心の中に納めた聖書ーーそれだけです。心が痛むとき、サタンの攻撃に圧倒されるとき、困難・混乱にぶつかる時ーー暗記した聖句だけなのです。数週間だけで、霊的にとても疲れます。」
「僕は、数年前から、御言葉を心にたくわえようと努力し、かなり覚えてきたと思います。それでも、もうすぐでだめになっていました。」
「みなさんは、どうでしょう。そのような、聖書が手に入らないような状況に置かれたら、『心の聖書』は、どのくらいあるでしょう。あなただったら、どのくらいもつと思いますか。数週間?数日間?数時間?」
心のたくわえにしていたつもりだった
ジョーンのことばにグサッとさされる様に感じました。ジョーンは自分のことを高慢になってそう言っていたのではないことが、はっきり分かりました。本当のことを言っているだけ。御言葉に対しての愛と必要性を伝えようとしていただけ。
御言葉を自分の命としたい。集会後、ジョーンにこの願いを話しました。そのとき、やさしく、教えてくれました、そのような願いがある限り、絶対絶望されはしないと。御言葉が心のうごきとなるときこそ、人はイエス様の姿に変えられていくのだと。自分の聖句暗記の仕方も少し見せてくれました。
「もちろん、これは私が使っている方法。ジューンも、自分のいちばんよく効く、役に立つ方法を見つけて、始めたらどうですか。後悔しませんよ。」と励ましてくれて、一緒に祈りました。
MPB会長John
中2年のとき始めた聖句暗記のノートを見つけ、新しく始めました。ヤコブ書4章から。次に3章。そして2章。1章。最後に5章。何回も何回も復習し、マスターしたと思ったら、ピりピ人への手紙を始めました。
私があなたががに話した言葉は、霊であり、またいのちです。(ヨハネ6:33)
私はあなたの御言葉をみつけだし、それを食べました。あなたの御言葉は、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。(エレミヤ15:16前半)
このミッション・プレヤ・バンドが与えてくれた宣教の重荷とビジョン、精神的ちからと聖句暗記から来る霊の活気を大きな恵みと思っています。主に感謝せずには、いられません。