シュルツ婦人と
ボブジョーンズ大学の最後の1年は、寮でなく、シュルツ家族と一緒に住むことになりました。Jackieさん(お父さん)は、私のデピュテーション用チョークアートイーゼルを作ってくれました。チョークとか他の道具も入れて持ち運ぶことが出来る、ポータブル、しかも頑丈なウッズケース、スゴク便利な、よく考えて作ったものでした。シュルツさんたちは、私を娘のように愛してくれました。休学するために探した所が、こんなステキな祝福になっていました。神様、ホントにありがとう。
* * *
学校に帰って来て最後の一年間、自分の気持ちにちょっとビックリしました。心のどこかには、まだまだボブジョーンズで勉強したいことがいっぱいあるという気持ちがありました。一方、特に自分は数回宣教地に行ったり、実際の仕事をしたりしていたので、早く戻りたいという気持ちがあって、ボブジョーンズには居られないという、落ちつかない何かが動いていました。
ジャニスの卒業、私はあと1年! 宣教団体入団口頭試問語、ピクニックで休憩
これを書いている時に気がつきました:その最後の一年の写真が、ほとんどありません!沖縄宣教のことで頭がいっぱい、大学生活のことは、あまり興味がなかったみたいです。
ジョイスは2年間短期宣教師として沖縄の学校で教師をしている間、フルタイム宣教師として帰って来る導きが与えられました。ジャニスが卒業した年、ジョイスはアメリカに帰っていました。妹、姉、母も宣教団体に入るので、私は学校があと1年残っていますが、例外、家族と同じ年に入団が認められるとバプテスト・ミド・ミッションは言ってくれました!
団体に入るための口頭試問に一番ためになったのは、重に2つ:
1.父母の1975年にとった行動。自分の信仰・立場を考えさせられ、聖書を自分のためにさぐり始めたからです。
2.ボブジョーンズでの教理の授業とローマの授業。知識的質問の答えは大部分この2つの授業で学んでいました。
順序がおかしくなったと言ったでしょう?
やはり、あの霧みたいな問題で色々考えさせられたのが1番だから、そこまでは、この本で先に伝えたけれど、今度は上記のボブジョーンズでの教理の授業のこと。バプテスト・ミド・ミッション入団口頭試問の全然前だったんだけど、言ってなかった。
実は、私は、授業中、先生が皆に難しい教理的質問をするときに、参考のため、いつも自分の日本語の聖書を開いて調べていたの。数回、他の返事がない時、日本語を読んで、そっと手を上げて「いいですか?」と新改訳の角度からの説明を言ってみた。嬉しいことに、先生の求めていたことだった。
新改訳? けっこう以外な役もあった!
ある授業後、教師に引き留められた。
「ジューンが使っているのはどういう訳かね。」
「この参考?沖縄の教会で使っている、日本語の新改訳というものです。」見せました。珍しそうに聖書のページをめくっていました。学校は英語の欽定訳聖書を使っていたので。
「日本語?」先生は笑顔を見せて聖書を返してくれました。「じゃ、私は英語のものにするけれど、ジューンの使っているもの、とてもいい訳みたいだよ。」
これを言うの、忘れていた:日本語聖書の、私のもう一つの「使い方」:今はコンピュータですぐ調べたりすることができるけれど、当時はそれが出来なかったから、私は変なことをしたの。日本語で言葉が分からなかったときに、同じ単語が出て来る聖句を、新改訳で調て、時々は、どういう言葉が使われているか分かったの。
これは、勿論、ある程度でしかできないことだけど・・・それに、宣教師に日本語学校ではゼッタイ、ぜったい勧めません!ノーグッドです!
また順序違反:ジャニスの卒業写真を見せたばかりなのに、このことをします:一緒に授業をとったことがあるのです。どっちも誰とも付き合っていないのに、いつかは役にたつかもしれないということで、「牧師夫人」という授業を受けました。
教師2人で教えられることになっていましたけれど、2人目は都合が悪くなって彼女の代わりにジョーンズ婦人(学長の奥さん)が教えることになりました!最初からある程度決まっていても、困る状況をさけるために、公にできなかったのではないかと思います。とにかく、その時授業を受けていた私たちは、思いがけない祝福を感謝しました!
ジャニスと私は、数千人の教会にいくつもりは、ありませんでした(あの牧師夫人クラスの多くの女性たちは、そういう教会を牧会する人を支えることになると思います。アメリカの教会は大きいので。)でも私たち2人は、これからの女性たちを影響しよう等考えていませんでした。ジャニスと私は、沖縄に向かうただの宣教師でした。
それなのに、みんなと一緒に一学期ずっと、ジョーンズ婦人の素顔を見て、彼女の生声を聞くことができました。
沖縄に向かうだけ。
沖縄の姉妹が「母の祈り」という賛美を沖縄の姉妹が方言で作詞したものです。私はボブジョーンズでΘMΘという、「社会」に属していました。スポーツだけでなく、音楽・スピーチ・ドラマと、大学生活に関するものには、チームをだすようなものです。このΘMΘの集会で「母の祈り」を沖縄三味線伴奏で賛美させてもらいました。「沖縄宣教を忘れないで祈って下さい。」と、心の中で泣いて願ったのを覚えています。
日本語が教えられていたら、受けていたと思いますが、残念ながら、なかったので、言語選択としてスペイン語を選びました。感謝なのは、その教師が言葉が上手になれなくても、
スペイン語で聖句を暗唱するのは、すごく厳しかった。外国語をキレイに話せるのは賜物かもしれない。だけど聖書暗記?誰にでもできるはず、と彼女は言った。
Claudia Loftis
その冬休み、メキシコから来た人に会って、証しようとした時のことを覚えている。普通に話そうとした時は、結構つまづいたりしたけれど、聖句引用のところにきたら、スラスラに言えた。あの先生のおかげ、完璧に覚えていたからだった。
いま思ってみると、個人伝道でも、何でも、やっぱり、御言葉がはっきり伝えられ、その後は、聖霊に委ねて、聞いた人の心の中に聖霊ご自信が働くのを祈ればいいのね。自分のことばは、あまり関係ない、かえって、邪魔になる方が多いんじゃないかな。私のスペイン語の先生、それを理解していたんじゃないかな。
“Si yo hablase lenguas humanas y angelicas y no tenga caridad...”ホラ、40年以上なっても、まだスラスラ出て来るの(コリント第一13章の始まり「たとい、私が人の異言や、み使いの異言で話しても、愛がないなら…」)
言うの全く忘れていた。この先生なの。私の健康のことを心配して、沖縄まで励ましの手紙を送り続けてくれたの。その時は電子メールがなかったから、これは紙と切手の手紙だった。
この先生、天国ではスペイン語で喋るだろうと言っていた。私はいつも抗議したかったけれど、彼女がスペイン語で話したいなら、スペイン語でいいと思う。
私は言語の専門家では無いけれど、何語でもいいから、福音を伝えて神様の愛を伝えて、罪の罠から逃げ出して命の明かりを伝えたい。特別音楽の天才では無いけれど、心が重く、暗く感じて、そして喜び踊るぐらい分からせる音は組み立てることができると思う。ちゃんとした美術の学びはない(一番最初のチョークアート授業のサムメイルを作って来る宿題に、初めてだったので、Dをもらっちゃった!)あちゃ~!!!だけど、それでも、美術は好き、何らかの賜物は、神様に授かっていると思う、神様の真理を伝えるために。
~ということで、シュルツさんが作ってくれた頑丈なウッズケースで、チョークアート伝道を、デピュテーションですることにした。そう、あと一年大学が残っていたけれど、姉妹と一緒に団体に入っちゃったから、宣教師としての重荷を分かち合っていたの。
チョークアートのことがあまりよく知られていないときに勉強したので、材料は結構お金が掛かった。大学生は、全部をいっぺんに買うことはできなかったけれど、少しづつ買って、卒業するまで、全部揃っていた。勿論、全部新品ではなかったので、中古品を集めたように見えたかもしれないけれど、私たちにとって、苦労して手にした大切なものだった。
ジョイスとジャニスと一緒にデピュテーションを始め、幾つかの教会で宣教の重荷を、チョークアートで話したあとだった。ボブジョーンズで、同じ教師にチョークアートの授業を受けた人が、あの教会に来ていた。
自分も宣教の重荷はあるけれど今は海外に行けないと、彼はいった。工場が要らないアルミニューム・スクラップを溶接してイーゼルを作ってみたけれど、ジューン、代わりに海外で使ってくれないかなと、プレゼントしてくれた。
当時のチョークアートのアルミ製ポータブル・イーゼル(伝道用)は$1000だった。シュルツさんの作ってくれたウッドケースで感謝していたのに、これまでも!このアルミ製イーゼルを、飛行機で日本に送ることにした。ということで、写真のアルミイーセルは、
この思いがけないプレゼント、日本語で伝えた6つのチョークアートは、この時もらったものです!
アルミイーゼル?!