後期の前に寮を出ましたけれど、沖縄に帰るのは数日後でした。女子部長は町に住んでいる家族に電話し、ジューンを少しの間泊めてもらえませんかと、お願いしてくれました。人をもてなす賜物がこの家族にはっきり見えました。家に入った時から、リラックスできて、自分の家にいるほど自由にくつろぐことができる様に暖かく感じました。
Jackie & Margie Shultz
そこのお父さんは40代に牧会に召され、上の子供2人は大学で、下の2人はボブジョーンズアカデミーで勉強していました。お父さんは近くの工場で夜間カードマンをしていて、こどもたちは中学生になるとすぐバイトにでていたそうです。みんな働き者でした。
この家族は、お金持ちではないが、すごく楽に感じさせられた。1年前の金持ちの家とは対照的と、思わされました。そこは何もかもあるように見えたけど、重い空気にまとわれ、いま晴れているけれど、いつ嵐になるのか分からなかった。ボブジョーンズ女子部長は、このShultzファミリーの話を、いっぱい聞いていたみたい。私のことを、全然ちゅうちょしないで、この家族に電話したところを見るとわかる。
そこの三女は、私のように病気になったことがあったので、私のことを理解し、初めからマイペースに動くように、無理しないようにと安心させられました。家族の一人一人と仲良くなれて(中学生2人とでも!)、とても嬉しかったです。沖縄に行く日、お父さんとお母さんが私を空港まで見送ってくれました。
甲状腺機能低下のことを知っている人は、これから言うことは分かると思いますが、私が沖縄に着いた時は、自分の健康状態があまりも悪化していたので、自分の状態を説明することが出来ませんでした。説明できないところか、はっきり考えることさえ出来なくなっていました。そして、時々バランスが取れなくなったりしました。
父母は、私が「ただ」疲れているのだと思って、沖縄に来させて、帰ってきてゆっくり休ませてあげようと考えていました。ところが甲状腺低機能は、休むだけでは治りません。それをはっきり説明するちからすらないのが甲状腺低機能の問題。ということで、沖縄に帰っても、最初の数週間は、何もせず過ぎました。
自分の気持ちがコントロールできなくなって、ある日父をとっても怒って、ひどいことをいっぱい言ってしまいました。頭のなかで「やめなさい!」と思っても、心の中の悪を隠すことが出来ず、口からはたまっていた思いが次々と飛び出してしまったのです。
が、次の日、両親と一緒に買い物に行って、車で待っていました。父は車に帰って来ると、後ろ座席に座っている私に箱を渡し「マミーと一緒に選んでみたものだけど、これで、いいかな。」と、言いました。開けてみると、ずっと欲しかったラジカセでした。昨日ひどいことを言ったばかりの私に。
父にもらった、一番ためになったプレゼントは、そのラジカセで聞いた、5つのメッセージシリーズのテープでした。実は、これも、その年、父にもらったものです。クリスチャンの心・思いについての説教、自分が部屋で横になっているとき、庭の花に水をやっているとき、数回聞きました。普通の説教を聞くのは一回きりですが、それと違って、あのラジカセで繰り返し聞くことができたので、このシリーズは聞き逃したところは、はっきり分からなかったところは、なかったと思います。頭の回転が遅い私にピッタリでした。
別の日、買い物のバーゲンで、一番下に畳んで揃えてあるものを見終えて立とうとしたとき、バランスが急にくずれて前に倒れ込んでしまいました。
「あ!すみません!」やっちゃった・・・前のお客さん、ビックリさせちゃった。「ホントに申し訳ありません、失礼しました・・・あれ?」マネキン!
娘がシツレイ・・・ そう、ただのマネキンでした
走って来た心配そうな両親に話したとき、初めて甲状腺を医者に見てもらおうということになりました!ジューンが口で説明できないなら、倒れてマネキンにさせようと神様は働いてくれたのです!ロバに言葉を授ける神様に、不可能なことは一つもありません!(ルカ1:37)
それからの色々な検査...ある日は5時間の間、30分
毎に採血することになっていました。外来の看護士と研究室の技師と親しくなりました。色々質問したりして、どの針が何のために使われて、検査の結果がどの様に分かる等分かってきました。注射する時に逆圧力を使うと、針は動かないとか、言っていましたけれど、7,8,9,10回目になると、もっと深くにある血管を使わなければならないので、どんなに上手にしても、やはり痛いです。でも、看護士は私の具合のことを気を付けて聞いてくれたので、自分もいつか看護士になれないかと思うほどでした。
一つの血液検査は、当時、沖縄の病院に必要な検査器具がなかったので、採血れたものが東京の大きい病院に送られて、結果が沖縄の病院に知らされていました。一カ月ぐらいかかりました。これが甲状腺の検査でした。私の甲状腺は堺線低機能と分かりました。
甲状腺の病気であることが分かって、薬の量が決まるまで、約一年掛かりました。ベース量を一カ月服用し、採血して、それが東京の病院に送られ結果が帰って来るまで一カ月待って、量が足りないということだったから増やした量を一カ月服用し、また検査して、採血されたものが東京に送られあと1カ月結果待ち...ということだったので、この間、心臓・神経・血圧のことも注意しながらしていました。(私の場合、てんかんの為に薬はあと2種類も服用していたので、そのことも考えてなければなりませんでした。)
甲状腺の正しい量が見つかっても、今度は弱った体の立て直し、体力づくりのリハビリがありました:毎朝起きて広ーいMorgan Manor住宅の回りを、ジョッギング。時々止まって、病院で見せてくれたように、指を首に当てて心臓の脈を測ったりしました。
Morgan Manorジョギングをしてでリハビリ
若いクリスチャンは「霊的」ことが大切、こんな肉体ことはどうでもいいと、思いがちかもしれません・・・私も、なんで、こんなに長くかかっているんだろう、早く元気になって、大学からかえってきて宣教の仕事をしたいと、思いました。
「わたしの計画に対して、文句を言うのですか。」と、神様に言われたように感じました。
「でも、神様、何をしているのですか?私には全然わかりません。」
主のみむねに全てをゆだねることができる日がきました。
「神様、あなたの時刻表に任せます。御心どおりに働いてください。」
そう祈ることが出来たとき、薬の量が安定してきて、前期の中断された勉強に戻ることができ(沖縄の学校の教室で期末試験を4つ受けました)。体力づくりと精神的カムバックにも務めることができました。
そのとき、石垣島から島尻先生が家に来ました。先生も私のように精神的に相当弱っていました。父と母から話を聞きました。石垣の教会と元牧師は教会の動きの問題のうずに引き込まれてしまって、島尻先生は、逃げてきたのでした。ある日、問題の圧力を感じ彼女は牧師にどうするのかと教会の動きのことを伺った時、はじき飛ばされました。
島尻先生が来た
「きみは、大城先生たちみたいだ。牧師に従えないなら、出ていけ。」と一方的に言われたみたいです。(その時、島尻先生は教理とか、分離のことは、何も考えていませんでした。まだ、そのことは何も輪からなかったのです。)教会から追い出され、島尻先生の悪い噂が沖縄本島の宣教師先生のにもひろがり、そこに行っても、彼女の話を聞こうとせず、「自分の罪を悔い改めるまで来ないで下さい」という責めの言葉で追い返されたみたい。
他に行く所なく、島尻先生は信仰の親のところに(異端にはいったと噂されていた大城先生のところに)来たということでした。他にどういうことがあったか分かりませんが、島尻先生は、その時思ったそうです:
「質問するだけで『大城先生みたい』と、どなりつけられたので、『大城先生、異端に入った』も、誤解されている。そんなに恐ろしい人間ではないはず。」こういう話を聞いて悲しみましたた、それと同時に神様の働きを感じました:
私たちは、こういう話を聞いて、もちろん悲しみましたが・・・人間の親は、小さい子が
正しい道を歩もうと思っても悪い道にまよい込んでいるのを見たら、なんらかの方法で助け出そうとするのではないでしょうか。父なる天の神様も、ご自分の子供が正しい道を歩みたいと、心から願っているときは、それがいちばんよく知っている。そして、悪い道にいて、自分の力ででることが出来ないとき、神様は素晴らしい知恵・ちからをはたらかせて・病気・誤解・不正までも、私たちをその誤った道から優しく追い出してくれるのですね(ローマ8:28)私たちが理解できなくても、神様の愛を疑うことになっても!
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
島尻先生は、10年以上FEGCの婦人伝道者の働きをしたのですけれど、そのとき退職手当が渡されました。事実を説明しようとすればするほど噂はひどくなるだけでした。自分の行動を説明しようとするより、神様の前で正しいと思う道を何も言わないで歩むしかないと、母は言いました。
「あの頃は一生懸命だった」
混乱・失望・疲れの中に感じたみことばの約束を、数カ月も島尻先生と分かち合うことができました。(一緒に住んでいたのです。)島尻先生のことを初めて聞いたときに与えられたみことばは、イザヤ54:17でした。主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。
あなたを攻めるために作られた武器は、どれも役に立たなくなる。また、裁きの時、あなたを責め立てるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受けつぐ分、わたしから受ける彼らの義である。ーー主の御告げ。ーー
その春、ちちも私もボブジョーンズにいるジョイスとジャニスに手紙を書いた時、島尻先生のことも述べました。
「心から主に従いたいと願っている島尻先生は、これから私たちの家族に大きな助けになるに違いありません。主の働きを期待するだけです。」と。それがいつかは預言の言葉のように聞こえることは思いもしませんでした。
島尻先生は少し落ちつくまで私たちのところに泊まり、よくなったら、お母さんの住んでいる石垣島に帰りました。特別話し相手がいなくなってしまったと、とても寂しく感じたのを覚えています。