車の事件は2月2日で、1か月後(3月3日、ひな祭り)に、もう一つ嬉しい事件がありました。
ビリーグラハム・クルセードが沖縄にやってきて、1万5千人出席しました。カトリック教会も、近代的教会も、この運動に加わり、3つの教会だけが信者を送りませんでした。私たちの教会、米軍人のためのマラナサ・バプテスト教会、そして宣教師として日本本土から送られていた斎藤先生の聖書バプテスト教会。それが「嬉しい事件」でなく、その後のこと...
教会の近くに住んでいる中学一年生は、その伝道集会に行ってみて、もっと聞きたいと思い、具志川バプテスト教会に来始めました。毎週忠実に来ましたけれど、救いの決心をしようとはしません。これが数カ月続きました。ある日曜たかよちゃんに直接聞いてみました。
「たかよちゃん、ずっと教会に来ているけど、説教聞いたりして、意味分かる?」
左前のデニムスカートがたかよちゃん
「うん。」
「イエス様信じたことある?」
「う~ん。」
「信じたいと思わない?」
「そうね...わからない。」
「ねえ、そのこと、一週間よ~く考えてみたら。来週またはなしましょうね。」ドアでかよちゃんの霊の目が開かれるようにいのりました。彼女が頭を上げた時、目に涙がのぼったように見えました。
「また来週ね。」
ずっと一週間たかよちゃんのことがあたまから離れなくて、救われるように祈っていました。次の日曜日、たかよちゃんは早く教会に来て、彼女のところに行くと、すぐ話しはじめました。礼拝が始まろうとなっているのに、全然止まろうとしません。
皆が来るまえから話し始めた
「たかよちゃん、集会がはじまるから、廊下で話そう。」
聖書と字の無い本のトラクト(中学生用、御言葉も書いてあるもの)を持って、廊下のゆかに座り話し始めました。
一週間前たかよちゃんと話してみたとき、字のない本を見せて、「これ、わかる?」と聞いてみたのです。
たかよちゃんは自分のカバンから小さな字のない本を取り出して「あっ、私も持ってる。」と、言いました。もしかしたら、たかよちゃんは、ビリーグラハム・クルセードで招きのときに前にでて、誰かに救いの道を紹介してもらったのではないか、そのときに字のない本を貰ったのではないかと、思い、興奮しました。
「でも、何かわからない。クルセードでもらったんだけど、何かのお守りだと思ってたの。」
決心しようと思っても、カウンセリングする人が、「これからは人生のなかで神様の愛を表すように頑張りましょう。」程度のことしか言わないのでは、実際新生する人は少ない方でしょう。たかよちゃんのように、新約聖書と字のない本を、説明なしに渡されて家に帰される人は、何人いるのか、分かりません。決心者みんなが、かよちゃんのように、聖書が教えられる教会に行くようになって、そこで真理・福音を自分のものとすることができるように祈るしかありません。人の救いを願っている神様はこう働いてくれることができます。
たかよちゃんは、普段、おとなしい、気持ちを表に出さない人でしたが、あの廊下で話をした朝は別でした。自分が罪人であることを認めて罪の奉修が死、永遠の地獄である、ことを分かったとき、彼女の顔は、私は、一体どうなるのだろうと、曇りました。
十字架の話、イエス様が代わりに罰を受けて下さったこと、完全な贖いを成し遂げて下さったことを聞くと、その暗い表情に希望の光が輝きました。
罪を悔い改め告白すると、全てが赦され、この救い主を信じ受け入れるだけで永遠の命を自分のものにできる。この話で、たかよちゃんの顔は全く明るくなりました。
「たかよちゃん、今イエス様を信じる?」
「うん。」
一緒に祈って、救いの確信の話をして、会堂に戻ったとき、礼拝は終っていました。父も母も教会の皆さんも、私たちがどういう話をしているのか知っていて祈ってくれていたことは、感謝です。食事と交わりの時間が始まるところだったので、母は私たちの話のことを聞いて、皆に言いました。
中1のたかよちゃん
「たかよちゃんが今朝何かあったそうです。」
「イエス様を信じました。」
ハレルヤ!
これが「嬉しいい事件」です。その後、たかよちゃんは、どんどん変わりました。内気だったたかよちゃんは友人の救いの重荷を持つようになり、教会に誘うようになりました。学校の工作時間で指人形を作る時、たかよちゃんはイエス様の人形を作り証の機会を作ろうとしました。家でも、自分の部屋に再臨の絵を飾り、家に来る友人に証しようと努力しました。
ご両親は救いの意味は、はっきり分かりませんでしたけれど、娘がこんなに変わって良かったと嬉しく思っていました。春になると、私がボブジョーンズに帰ることが決まりました。
ちょうどその時期、たかよちゃんは悪友の影響で、ご両親を困らせるようになり、家族は引っ越したので、たかよちゃんは、どうなったか、わかりません。どこかで主に守られていることを祈るしかありません。
高校でアメリカから帰って来たとき、長田おじいちゃんは亡くなっていた。健康の為大学を休学したら、大城おじいちゃんがいなくなっていた。今度は、春に、もう一人のおじいちゃんが召された。。。と、考えたいです。
天願から電話が掛かって来た。(父のお母さんの出身地です。)「川崎おじさんが危篤です。」ということでした。「病院に来てもらえませんか。」父の小4,5年を、このおじさんの家族と一緒に暮らした。世界大恐慌の時、おじいちゃんはカナダに残り、独りで仕事するのに専念して、2年間家族を沖縄の、この川崎家に預けた。
ダディーの本棚の一段目と壁掛け写真
(壁掛け写真は大恐慌で撮影、本棚は60年前の川崎さんたち)
あのおじさんが危篤!父母は急いで病院に行きました。部屋に入ると、おじいちゃんは、頭を少し上げて「君子さん」と、母の名前を呼びました。「良くきてくれた。」
甥である父もベッドの側に来ました。「おお、昇。」
おじいちゃんは、力はあまりなくても、あたまは、はっきりしていました。ことばをはっきり発音できなくても、長年教師していた結果の優れた知性は、目を見ると、分かります。
福音を繰り返し聞いたおじいちゃんに、父と母は言いました。「おじさん、イエス様を信じなさいね。」おじいちゃんは父と母の手をしっかり握り、何か言おうとしていました。イエス様を信じたことを伝えたかったと思いたいです。
数分似内に死ぬと思われていたおじいちゃんは、その晩も、次の日も、生き続けました。日曜の午前、復活の朝に、川崎おじいちゃんは、この世を去ることになりました。
おじいちゃんは、私たちに何か言おうとしていたのかな。というより、神様が、私たちに、おじいちゃまのことを何か伝えようとしてのかもと、思いたい。
* * *
嬉しいときにも、悲しいときにも、父と母は、教会の仕事をしている時何かのちからで輝いていました。心の喜びを見つけたと見えました。
父と母は独身のとき、教師をしていたので、2人とも教えることが好きでした。父は自分は説教が下手とい言っていましたけれど、生活の中に適用できる励ましのことばをのべるのが得意で、母は「無視され過ぎる」旧約聖書を教えるのが好きでした。
* * *
年の性かと、母は思ったりしていましたけれど、前のように元気がありません。2回も頭痛で集会を休みました。マミーが集会を休むということは、相当あたまが痛い時だけでした。あと一年で2人は60代。若い宣教師が早く助けに来なければと、思い、数カ月したらボブジョーンズの訓練を続けることができることを嬉しく思いました。
6月に始まるサマースクールに行くことになっていました。