デピュテーションの2年目(私の1年目)は、父母は沖縄に帰りましたけれど、家賃は3人で分けて払っていたので安く済みました。ジャニスとジョイスのサポートも少しづつ高くなっていたので困りませんでした。父がファーロのために使っていた車も私たちの物になって、デピュテーションを始めるほとんどの宣教師のように車をてにいれることなど考えなくても良かったのです。スライド・プロジェクターも、テープレコーダーも、映写機台も、展示テーブルも揃っていました。
計画通り2年間でジャニスを沖縄に送ることができました。アパートの契約更新で家賃が上がる時、母教会のクリスチャン教師が私たちに一緒に住みませんかと、言ってくれました。それで、主に感謝し、この人の家に引っ越しました。(2年前アメリカに帰った時も、この人の家に泊まることになりました。東京まで小包を送ってくれたりしました。)
父にいつも言われていました。宣教師になるためには、3つのことが必要だと:1)ねばりづよさ。諦めないで、ただやり続ける。地味な、面白くない、結果を結ばないように見えるものでも、黙ってする。2)なんでもする(多才というのか、柔軟というのか、とにかく、何でも、いつでも、なんとかする。3)ユーモア感覚(ある状況に対面するとき、笑うしかない、そうできない者は泣いて宣教師を止めてしまう。
デピュテーションの経験でこれら3つのことは訓練されたと思います。
ダディー:「なんでも。ペンキ塗りも!」
教会にペンキ塗りの手伝いの手伝いをしたことがあります。(コレ、宣教師のする仕事?だけど、よく考えてみると、父は軍の捨てる建物の材料・ペンキで、宇堅と首里の教会を建てたりしました。平川の教会も、昔の診療所を修理して無料で使っていいということで具志川の教会になって…全部、ダディー、ペンキ塗りしてたのね。)
私たちの集会の次の日は、時間が空いていたので、一日長く泊まり、教会奉仕をさせて頂きました。着物を抜いてエプロンと普段着で一日ペンキ塗りをしました!
他の教会では、集会の途中、牧師が説教台から、「説教の時間、大城姉妹は子供たちに、お話をしてくれます。」と、発表しました。慌てて何か準備することがありました。
また別の教会は、他のうるさい家から離れてゆっくり休むことができる、伝道者・宣教師が泊まる特別な小さな家がありましたが、そこにはアイロンがひとつもありませんでした!次の日の服にアイロンをかけるため、鍋やキュースにお湯を入れ、服の上にのせたりしました。
ベッドに隠れていたハチに刺されたり、雪で教会にとじ込まれたり、教会の人が描いてくれた道が集会の日まで工事で変わったり、証を始めて用と思ったとたん電気が消されたり(スライドプレゼンテーションが先だと思われていた)...デピュテーションは、色々ありました。