2026年8月9日日曜日

搭乗中

ということで、大学学費の為には、少なくとも一年間バイトすると思ったのが、1夏だけで終わりました気が付くと、自分は飛行機に乗って、来年の秋入学でなく、今年ボブジョーンズに向かっていました!

でも、なんで、ボブジョーンズほど厳しいところを選んだのかと、友だちに聞かれ、ジョイスの言葉を思い出しました。

「大学にいる間、色々厳しい規則があった方がいいと思う。」と、ジョイスは言っていた。「クリスチャンが、目に見えない神様に何か言われた時、理解できなくても従わなくちゃならないとわかる。大学のうちに目に見える人間の権威に同意できなくても従うことが訓練されている方がいいんじゃないかな。」

似た原則、兄弟を愛する、が第Iヨハネ4:20にあります:「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」

強いクリスチャンになるために厳しい大学はいいと、ジョイスは思っていた。「だったら弱い自分がしっかりするための所かもしれない」と思い、ボブジョーンズに行くことを考えるようになったのだった。

大学に行くとき初めて飛行機を一人で乗りました。ファーロは、いつも家族で動いたので。)

私は覚えていませんけれど、最初のファーロは、3人小さくて、母は大変だったみたいです。沖縄を出発するとき、飛行機の席が足りなかったので、航空会社は困っていました。それで、ダディーとマミーにお願いしたそうです。操縦室のすぐうしろにあるキャビン(パイロットの寝る所)に移ってもらえませんかと。母はそれでとても助かったと言っていました。子供は2歳、1歳、と数カ月だったので。

ジャニス数カ月、ジューン1歳、ジョイス2歳

 エコノミークラスからファーストクラスに移されたことは聞きますけれど、パイロットの休憩エリアで太平洋を渡ったことは、聞くことはありません。

2026年8月8日土曜日

急に

私が急にボブジョーンズに行くことになったと言ったけど、なんでそういうことになったのかは、話していなかった。また順番がおかしくなっちゃった。

えっと、あのエホバの偽証人がアパートに来ていたと言ったでしょう?そして、自分が、早く宣教師の訓練を受けて、沖縄に帰ってきたいと思うようになっていたの。スグでも学校に行きたいと、感じていたんだけど、具体的に、必要な金がない。

ある朝のデボーションに、ヤコブ4:13を読んでいました。「聞きなさい。『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、儲けよう。』と言う人たち。

これ、まさに自分と、思った。「沖縄で、一年間アルバイトをして、お金がはいってきたら、大学に行こう。」と、言っているんじゃない?

14~15節を読み続けた:14「あなた方には、明日のことは分からないのです。あなた方の命は、いったいどの様なものですか。あなた方は、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。

15節:むしろ、あなたがたは、こう言うべきです。「主のみ心なら、私たちは生きていて、主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」

それで、祈り始めたの。誰にも何も言わなかったけれど、祈り始めただけ:

「神様、いまでも宣教師の勉強をしてきたいと思いますけど・・・お金がないと、とても行けません。いま行くのがみこころでしたら、お願いです、お金を送ってください!」

午後、ピアノを練習しているときでした。当時はメールがなくて、普通の手紙でした。母は手紙をよんで興奮していました。顔を見るだけで、手紙の内容は、ある程度、分かりました。

「ジューン、ジューン、素晴らしい知らせが来たのよ!」と、母は、ミシガン州の母教会からの手紙を読み始めました。「ジューンは、秋にボブジョーンズに入学するつもりですか、ジューンの1年目の必要は教会が全部払うと教会会議で決まりました」という内容でした。

「その手紙、待ってたのよ。」自分はピアノ練習をやめ、すぐバッグから聖書を取り出し、ヤコブ4:13-15を読み、母と一緒に主の導き・備えを感謝しました。

那覇空港でボブジョーンズ大学に出発!

(ワーラファミリー・瑠美子ねえちゃん・エディテリーの妹リサ・自分・ジャニス・母)

2026年8月7日金曜日

太平アパート

高校を卒業するちょっと前に、一つの可能性があった:父が離島伝道の為に行っている、石垣島に住んでいるワーラ先生の所に泊まって、今年の夏は、しばらく一緒に伝道の仕事を手伝う。ところが、母は、すぐそれを却下してしまった。私はガッカリして、物置の裏に行ったのを覚えている。そこで一人で泣くつもりだった。急に小さな声で、バッグの中に何があるかと聞かれたような気がした。バッグの中?聖書だった。その時は詩篇139:2に開いて、自分が分からなくても、神様は私の「座るのも、立つのも、知っておられる」と、安心させられるようだった。 

高校卒業後の夏は、どう座ったり立ったり導かれるんだろうと、思った。大学学費を手にするためのバイトを探すことになっていた。 

私より先に仕事が見つかったのは妹。ギフトショップの店員だった。沖縄の文化にあわせて、現地人と米軍人両方を相手にできる、バイリンガルの人だと、就職時に特に助かる、店・銀行等で、¥とドル両方が扱われていたし、値札も円・$両方の値段が表示されていた。 

自分は面接に行った次の日から勤めた。太平アパートという所の受付だったけれど、やっぱりバイリンガルだったから、その仕事が見つかった。受付だけでなく、会計少々・電話オペレーター・ランドリーチェックの仕事もお願いされた。

ジャニスはEtc.という店・私は太平アパートでバイト

昼は、アパートのクリーニングスタッフのお弁当が来て、私は一緒にスタッフルームで昼食をすることにした。毎日お弁当を作って来なくてもいい、自分のお弁当も出たので。なんだか、そこのおばさんたちに特別可愛がられて、嬉しかった。一人、春子さんという人が救いのことをこう語ったのを覚えている。

 「私は本当は聖書の真の神様を信じているけれど、それを公にするのなら、祖先崇拝を止めて、神棚から位牌を下ろさなければならないから、それは中々出来なくてね、スゴク悩んでいるのです。」(数年後、また会ったとき、春子さんは、やっとこれが解決された見たいでした。輝いた顔で生きているイエス様が自分の救い主だと証していました。)

受付している間、心をスゴク痛めたのは、異端の人たちが来たときです。子供をロビーに遊ばせて、大人だけで部屋から部屋へとまわっていました。 

「この世になぜ苦しみ・悩みがあるか、ご存じですか?」という質問で話始めていました。 

ある日、ロビーでおもちゃで遊んでいた男の子が、急に宗教的質問を私の方に聞きました。私の反応を見ると、スグ黙って、「ああ、アナタタチには話しちゃだめなのね。」と言いました。既に異端の教理が教え込まれている、と思いました。 

このグループは、自分のことを「エホバの証人」と呼びますけれど、その時、強く感じました:早く大学に行って、訓練されて、エホバの正しい証人として帰ってきたい!その時までこのようなエホバの偽証人が何人沖縄に送られるんだろう。と、悔しく思いました。 

だけど、太平アパートのバイトで、一番多く時間を過ごしたのは、高宮城マネジャーとだと思います。あの受付デスクの裏の部屋にマネジャーのデスク、自分のデスク、電話オペレーターボード、接待エリアだったのです。務め時間のほとんどがこの裏の部屋に居たので、高宮城さんと、ゆっくり話すことができました。 

いま思うと、自分の比較的鈍感な性格は、ためになったのかもしれません。高宮城さんは、宗教・神様・聖書に対しての疑問を、そのまま表現しても、私は全然怒りませんでした、バカ正直に返事したり、分からなかったら、そう言っていました。 

急にボブ・ジョーンズに行くことになった時、高宮城さんは、自分をレストランにおごってくれて、もっと話したがっていました。霊的話は完全に理解できないけれどと、テーブルナプキンに自分が書いた救いの説明の図を、キープしてくれました。それに息子さんを、クリスチャン幼稚園に入れようかなと、言ってくれました。 

高校が終るまえに、石垣に行けなくなって、すごくガッカリしたけれど、離島に行ってたらこれらの太平アパートの祝福は、見られなかったことになるのね。やっぱり、わたしのすわるのも、たつのも、主に任せた方がいいみたい。 

実はまだまだありました。

2026年8月6日木曜日

サプライズ

あの学校で高3年生は3人いたんですけれど、一人はお父さんが急病になって、アメリカに帰ることになったので、卒業式では、エディー・テリーと自分だけでした。エディーは、テネシー・テンプルという、もう一つのクリスチャン大学で音楽を勉強しました。

私はボブジョーンズ大学に導かれていたのですが、行く前の日曜、教会の皆がサプライズケーキ等を、裏庭で準備してくれました。妹ジャニスとまた従弟の瑠美子ねえちゃんが内緒で準備してくれたことに、全然気が付きませんでした。

サプライズ! 

みんなが帰ったと思ったあと、裏庭からジャニスの呼ぶ声が聞こえて、見にいったら、みんなが笑顔で待っていた。ボブジョーンズに行ってちゃんと訓練してきて、帰ってきてくださいね、これは少しだけど、集めてみましたと、宇堅村のおばさん達が5名の代表として、封筒を渡してくれた。あの百姓の奥さんたちから、どうやってしたのかわからないけれど、3万円も入っていた。

 自分の日本語はまだまだだったから、証は、英語でして、母の通訳つきでした。途中で、今度来るときは宣教師として、そして日本語学校でちゃんと学びをしたい、自分の力で日本語で証をしたいと言ったとき、母はしばらく何も言えなかった。

通訳付きだったけど

瑠美子ねえちゃんが神学校に行ったことを、おじいちゃんが喜んでくれたはずのように、母も生きていたら、自分がいま日本語で証していることを、喜んでくれたはずにちがいないよ...ね。

2026年8月5日水曜日

ギデオン

宣教団体を変えても沖縄に戻れたのは良かったのですが、一カ月遅れたことは、私たちの小さい学校の文通システムで、高3年生が、卒業するために、勉強はすごく大変でした。

来年で卒業できるかな?

あの学校では、成績が良い生徒たちは、時々「field trip」といって、楽しいことをしていました。ピクニックしたり、色々な工場見物に行ったり、アイススケートしたり、米軍ヘリコプターの飛び方を習ったり・・・自分は、毎回、遠慮して、学校に残って卒業勉強に時間をなるべく使うようにしていました。

アイススケート・ヘリコプターは楽しそうだけど・・・

結局、卒業前日まで、絶対済ませなければならない宿題を提出したり、最後のスピーチも、その前の日ぎりぎり、小・中・高生の前ですることになりました。自分が小5の時、母が聖書から教えてくれた、臆病ギデオンの物語についてだったのです。

ということで、大学の「聖書を教える」授業でギデオンのレッスンを教室の前で教えた時は、初めてではなかったのです。ということは、宣教師になって、デピュテーションで急にサンデースクールをお願いされ、ギデオンの話をした時、少なくて、2回は教えました! その時作った資格教材まだあります!(ええ?今数えてみて、40年以上になる?!)4枚見せていいですか? 



2026年8月4日火曜日

もしかして・・・

このように、インドのことを考え始めましたけれど、同時に他の所5つの重荷を感じていました:

l アラスカ州(どのように、この重荷が与えられたのか、全然わかりません)

l 中国(沖縄に住んでいた時、いつも近く感じていたので)

l ハイチ(BMM入団時、Lorraine McDowellという宣教師にこの宣教地に引かれました)

l コートジボワール(西アフリカの国、宣教カンファレンスで、この国の宣教師の話を聞き、蒸し焼きシロアリを食べたことがあります。ベーコンビッツの味でした!)

l 共産党の衛星国(これらの国々での伝道の本を当時読んでいたので。)

中高生のとき、スポーツが好きだったので、体育の教師にもなろうかなと、考えることがありましたが、試合を忘れるほどジュディーに証することに夢中になっていた自分のことを思うと、やっぱりそれは、足りないと、分かりました。スポーツを教えて、空いている時間に心から愛していることをするより、フルタイムにそれをやりたいと、思うようになりました。ビナの顔を思うだけで、異教の国に思いが走る自分の心を見ると、やっぱり海外伝道に召されていると思いました。

「神様、どこにしますか。私はどこでもいいです。アラスカ、アフリカ、ハイチ、ヨーロッパ...」それとも、神様、もしかしたら...神様、もしかしたら、私が沖縄に帰って来ることを願っているのではないか...


大謝名の家から見える景色

神様がにこっと笑うのが見えるように感じました。

「やっと分かってきましたか。」と。「ジューン、なぜ沖縄に産まれてきたと思う?なぜ言葉・習慣に慣れてきて、この島の伝道に重荷をもつようになって、沖縄の人を愛してきたと思いますか。わたしは、ジューンのような人を沖縄に送ることができなかったら、いったい誰を送ることができるでしょう。」

あっそうか...。」

このように沖縄に遣わしてくださいと、祈ることができました。自分がやりたいことを選んだのではなく、神様がこの素晴らしい働きのために私を選んでくださったのです。私は、その指名に反応しただけです。

「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたを選び、あなたがたを仕命したのです。それは、あなたが行って、実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも父があなた方にお与えになるためです。」 (ヨハネ15:6)

ハレルヤ。この話、どうなってんの。涙とハレルヤばかり。ペンテコステ系に思われちゃう!


数年後のスケッチ

2026年8月3日月曜日

マミーのせんたく・クレージーモンキー

いまの洗濯機は乾燥機付きだから、洗濯ものを全部カゴでもちだして干しで乾かしたりする人は少ないと思う。私が高校のときは、ほとんどみんなしていた。多分母の一番心に残ることばを聞いたのはそのときだと思う。

自分が宣教師に導かれている、一生を主にささげたと、母に話したときだった。マミーは持っているものをカゴに戻し、少し間をおいて私の目を見てゆっくり言った:

「ジューン、失望が嫌なら、心が痛めつけられるのが嫌なら、涙を流すのが嫌なら、宣教師はやめた方がいいと思う。」マミー、何言ってるのと、思った。だけど、続けた:

「宣教師になるのはやめた方がいい」?!

「だけど、何より大きな喜びを知りたいなら、他には得ることができない本当の満足を味わいたいなら、『これこそ神様が働いてくれた』と言いたいなら、ジューン、宣教師になりなさい。宣教師になりなさい。」

洗濯機の中の服はグルグル・ビュンビュン・びしょびしょ・ごしごし・で大変、それが終っても、こんどは乾くまで吊るしあげられる!だけど汚れ・ダニからキレイになった服は新しく買ってきた服のように気持ちよく着ることができるのね。

*   *   *

ジャニスは3人兄弟で体が一番小さいけれど、結構気が強い面があるの。小学高学年の時は、ジョーキャロルという友だちと一緒になると、必ずと言えるほど、2人は何かの問題を起こしていたの。

一年年下の妹、クレージーモンキー

ひとつ覚えている話は校長室に送られたあとのこと。2人は6年の教室に帰ってきたけど、閉まったドアにカギが掛かっていた。

「あけて!あけて!」と、ドアをたたいたり蹴ったりしたんだって。校長室に送られても、全然反省していなかった。もっと詳しくきくと、2人は、教室に戻る前、体育館でボールを見つけて、バスケットシュートしたんだって。(これ、2人6年の女の子!信じられる?)

「おまえたち、かえって来るな!」と、教師に言われたそう。

ジャニスとジョーキャロルは、それで困るどころか、どうやって昇ったのか分からないけれど、廊下の上の方にある窓(空気を入れるため)から、教室の中にいる生徒たちに変な顔で笑わせたりして、教師をさらに困らせたみたい。

父は学校まで行ってジョーキャロルに話した見たい、ジャニスと遊ばないで欲しいと。別々では2人はいい子だけど、一緒だといつも問題になる。ジャニスは、スゴク恥ずかしかったみたい。だけど、時間がかかったけれど、ダディーが自分に嫌われるほど愛しているということが分かって来たって言っていた。

だって、ジャニスが中学生になった時、全くおとなしくなったの。ジョーキャロルがいなくなったのが大きな原因だったんじゃないかな。ダディーを通しての神様の守りだったと思う。そのままだったら、あのふたり、自爆してたかもしれない。

とにかく・・・自分が中学生学生会副会長の時に、ボーリングパーティで喧嘩が起きて、初めてクリスチャンスクールの活動でちょっとしたケガがあった(鼻血ぐらい;病院処置は要らなかった)。ケガをした子の親の家に、父は自分をすぐ連れて行ってくれて、本当に申し訳ありませんと学生会から謝った。学生会責任者のBlackstone先生は監督ミスでしたと校長に頭を下げた、これから中学生の学生会はなくなることになった。

一年間中学学生会なしのあと、自分ともう一人の学生会役員(当時の会長)は、校長に話しに行って、頭を下げて、自分たちの不注意で事態が悪化してしまって、ブラックストーン先生のせいではない、これからの中学生たちに全く声がないのは、可哀そう過ぎる、なんとかなりませんかと、言いに行った。

中2までこうなっていた!

それで、生徒たちが自由に選ぶのではなく教師たちが選べるんだったら、これからも「学生会」というものがあってもいいでしょうと、いうことになりました。私たち3年生は「きつく」叱られて、次年度の中学1-2年学生会役員達は、尊敬されている男性生徒クリフが会長・ジャニスが副会長・校長の娘アニーが書記会計と教師たちにより、決まりました。

そう。その時まで、ジャニスは、あの大変な生徒から相当変わったの。中2まで、教師たちに、校長にまで信頼されていたの。あのとんでもない、6年生の時のクレージー・モンキーが!

私が高3のとき、気が付くとジャニスは高2で、中学校だけでなく、私たちの小さな学校の全体学生会会長になっていました。

学校活動の中に中高男子が。ある問題で他の生徒たちを困らせていました。私たち注意をかけようとしても、「いいじゃないか」ていどの反応で、聞こうとしません。学生数人は困っているのですけれど、何か言ったら嫌がれると、思い何もしませんでした。このまま放って置くことはできないと、ジャニスは思いました。でも、みんなの前で教師に言って、みんねの前で叱られたら、2人は、かわいそう。

 

学校が終って学生自治会の副長と書記・会計(私)を呼び、教師(学校の指導者となっていた人)と集まってこのことを相談しようということだったのです。みんなの前で話すより、個人的に話したいけれど、聞こうとしてくれない。学生同士の調和のために何かしなければならない。どうすれば良いでしょうと、ジャニスは先生に聞きました。

 

先生は翌日2人に話してくれました。みんなの前で叱るより一人一人個人的に話してくれました。2人は先生に謝って行動は変えましたけれど、他の学生には「じゃ偽は、会長だからって、オレたちのことを先生に勝手にチクったりした。でしゃばってるよ、あんなの。」と言い回していました。

 

ジャニスのそのときの反応を、よく覚えています。その話が耳に入ると、自分の机に行き、何も言わないで紙一枚取り出し、、それを半分に折って、また半分に折って、それもまた半分に...そして、その紙をちぎり始めたのです。

 

「ジャニス、大丈夫?」机のそばに行ったとき、ジャニスの目から涙が流れているのに気がつきました。強がりやのジャニスの目から。

 

「みんなのために、それに、RodneyとJimのことを考えてあげようと思ったら、こんなことになっちゃった...。」

 

小1の骨折時、ジャニスはギブスの型を取る時、涙を流したと聞いたけれど、それっきり、ジャニスはなくことはなかったのです。私は心配しました。

 

高2のジャニス、                 中学生Rodney 

 

「でも、大丈夫。ほんと。」と、言っています。「ただ、今、泣かなければならないだけ。少しだけこうしたら気持ちが落ちつくから。」そして、心配している私を安心させるために:「そっとしておいてちょうだい。心配してくれて、ありがとう。」

 

涙は流しているのですけれど、その答え方はとても冷静。本当に大丈夫みたい。

 

「じゃ、行くからね。本当に大丈夫?」

 

「うん。だいじょうぶ。」

 

教室をでて2人をさがし、一人が見つかったら(昼時間だった)、きつい声で呼びました「Rodney Blalock(フルネーム)ここに来なさい。」

 

普段おとなしい私がその様に話すのにビックリしてすぐ来ました。

 

Rodney.」

 

「はい」

 

「よく妹の悪口を言えるわね。昨日まで、Rodneyたちのことでみんなが困っているので、ジャニスは何かしなければならないと思って...でも、このことをあなたたちと話したいと言っても、聞いてくれなかったじゃない。心を痛めて先生に相談したのよ。みんなの前でRodneyたちが叱られるのは、可哀そうと思ったのよ。それなのに、Rodneyたちは...ジャニスがRodneyたちの言っていることを聞いて、どういう気持ちになったと思う。今、教室で、一人で、泣いてるのよ。」

 

「ええー。ジャニスが?」

 

Rodneyは教室に行き、ジャニスに謝ってきました。

 

でも、ジャニスは本当に大丈夫。RodneyとJimのことを全然怒っていませんでした。2人は、本当はいい人。まだ子供のように自分のしていることに夢中になって周りのことが忘れるだけと、言っていました。

 

*   *   *


相手にどう思われても、ためになることをする、それだけ。ジョーキャロルの時、ダディーが自分のためにしてくれたように。

 

高3の私 

もう言ったように、私たちの勉強していた学校は、幼稚園から高3の小さい所。そのために私とジャニスは、一番年上、責任、奉仕の場が多く与えられた。この一年のイラストの多くの写真がモノクロなのも、これで説明できる:私は学校年鑑アルバムの編集長をお願いされていて、多くの写真は、こ年作成したものから取ったの。(小さな教会学校は、フルカラーでなく、経済的な白黒印刷をチョイスしたので。)

 

ジャニスが学生自治会の会長しただけじゃなく、後期は、私が書記・会計をしたの。そう、中学校のときは、無責任のため、学生会を失くした私が!他の音楽グループにも入っていた。マミーは、「そこは何も生えないよ」と言われても、岩・いばら・死んだ草などを捨てて、土を掘って、いつの間にか、庭をきれにしていた。

 

メチャクチャのジューンの心が神様の働きで明るくなるから、雑草ぼやぼやの庭も人間の手入れで花いっぱいになってもいいよね。

 

母が自分の精神的嵐のことを一番よく知っていた。ダウンするとき、いちばん先に話していたのが母だった。だから、多分その年、マミーが私を見て、「ジューン、やっと落ちついてきたね。」と、言ってくれたとき、すごく嬉しかった。

2026年8月2日日曜日

ビナちゃん

朝のチャペルが終わった後、一人の女の子は席から動こうとしません。教室は、2階なのに。私は、一番後ろに座っていたので、彼女が見えました。マラの隣に座って聞いてみました。6年生のインド人です。

私はいちばんうしろに座っていた

「どうしたの。」

「いもうとビナのことが、とても心配のことなの。」

「ビナのことが?」

「ビナは、まだイエス様を信じていない。」と涙ながら言っています。「今、死んでしまったら...わたし、どうしていいか、わからない。」

チャペルのメッセージは、死は確か、人は一日でも早くイエス様を信じなければならないと、いうものだったのです。

その前日、ビナは急に重い病気になって入院し、酸素呼吸装置が必要になるほど悪くなっていたのです。

中高女子は、私が教室に上がって来ないことに気が付き、チャペル室に来ました。その話を聞いて、ビナが元気になるように。福音をもう一度聞いて、イエス様を信じることができるようにと、私たちはそこで祈りました。

神様の働きを、人間はフルに期待することができるでしょうか。

ビナは酸素呼吸装置が必要なくなるだけでなく、退院できただけでなく、学校に帰ってこられるほど、元気になったのです!

ある休み時間のとき、2階教室入り口の階段の所で、ビナに聞きました。

「ねえ、ビナ今日死んだら、絶対に天国に行けると、思う?」

「...」

「返事がないのは、もしかしたら、はっきりわからないから?」

「うん。」

「じゃ、そのことをよーく考えててね。明日またきくから。」(ある人は、こんなこと危険だと言います。その晩死んだらどうする、と。それは考えられません。ただ、この時は、このように導かれたのです。ときには、聖霊の働きは、理性に反することをします。

 

いもうとビナとおねえちゃんマラ

翌日また会いました。「ビナ、昨日の話、覚えてる?」

「うん。」

「それで、答えはあるかな。ビナが今日死んだら、どこに行くか、わかる?」

「わからない。」

「それ教えてあげてもいいけど、聞いてくれる?」

「うん。」

救いの道を初めから終わりまで説明し、ビナは全部を理解し、信じました。

「ビナ、今イエス様を信じない?」

「うん。」

「そこで2人は頭をさげて、ビナはすなおにイエス様を救い主として受け入れました。心が全く準備されていたのです。確信の御言葉も少し読み、2階に上がりました。ビナの救いのことを聞くと、お姉さんのマラは大喜び。ビナのために祈っていた中高女子も嬉しくなって、学校の教師も主の働きを感謝せずにはいられなかったと思います。

その後、数回ビナは私の所に来て、大きな目で私の方を見て、「わたし、クリスチャンになれて、本当にうれしい。」と言ってくれました。ビナ、私もよ。私もとってもうれしい。

やっぱりビナの健康のために、湿度の低いインドに家族は行くことになって、次の年からいなくなりました。

酸素呼吸装置が必要だった時に、ビナの肉体命を守ってくたように、神様、今度は異教の国でも霊的守りをビナとマラに与えて下さい。

そう、そう、もう一人の妹「ギータ」という幼稚園児もいたの。彼女もいつかイエス様を信じるように働いてください!

ギータちゃん

2026年8月1日土曜日

風車で歩き始める

子供が歩き始める頃、親は初めての一歩、次の一歩のことを支え、最初からいっぱい歩くことを求めません。神様も、私の精神的「歩き始める」のを一歩、一歩と助けてくれました。

私たちが沖縄に帰った時、行った学校は、米兵根本ファミリーの為の教会が始めた学校で、すごく小さいものでした。それで、幼稚園児から高校生がえられていました。私の様に高3生は3人しかいませんでした。

最初の一歩は、とても小さなもの。子供の運動会の日に、私たちはみんな風車をもらっていました。ある男の子のものは、風に吹き飛ばさ荒れ、地面に落ちた時、グチャっと壊れてしまいました。壊れた風車を拾って泣き始めました。そばに立って見ていた私は周りにい大人がいないので、胸がドキドキしながら、「ねえ、これ、もらう?」と言って自分のものを渡してみました。嫌がられるかな...

男の子の表情は、パッと変わって、とても嬉しそうに私の風車を受け取ってくれました。その一つの笑顔で私の心がとても嬉しくなりました。よかった...!

       

           かざぐるま!             デレインちゃん

次の一歩は、もうちょっと怖かった。ある日の休み時間、女子トイレで手を洗っていた時、5年生の女の子が入って来て壁の方を向いて泣いているのです。どうしたのだろう。以前の私は、余計なお世話と、言われるのが怖くて知らんふりしていたと思います。でも、今度は

Delayne(彼女の名前)どうしたの。」何も言いません。諦めてしまうより、Delayneを自分の方に向けさせ、もう一度聞いてみました。「ね、どうしたの。泣くの、やめて、話してみてごらん。」ホントに泣くのを止めて、話してくれました。そして2人でその問題のことを祈って、Delayneは少し元気になってくれました。

June,本当にありがとう。」そのときから「おねえさん」と考えてくれました。

ああ、本当によかった...。

こういうことを誰にも話していませんでしたけれど、母は私のことは何となく分かっていたみたいです。ある日、家で話している時(高3まで、多くなっていました)こう言ってくれました:

「こわいのはジューンだけじゃないのよ。勿論、人によって程度は違うかもしれないけれど、人間は大抵、何らかの不安を感じているの。そのことを覚えておけば、他の人ともっと自由に話すことができると思う。自分を守ることを考えないで、相手の気持ちを安心させるように心を配ること。」

本当にそうだったのです。一人の高校生と話してみると、彼女は私と同じような混乱と失望を経験していました。自分が戦いや失敗、みことばの助けなどを分かち合い、心から同情し、一緒に祈ることができたのを嬉しく感じました。昨年母が言ってたように、私は暗闇の経験そのものを感謝できました。それが「3歩目」だったかな。

そのあと、少しづつ「歩き始めました。」中高女子の間に問題が色々あったので、毎日昼食時間に女性を集め、2人2人に別れて、祈っていました。私たちに、主に喜ばれる愛と一致が与えられるようにと祈りました。後期も、特別な恵みがありました。

2026年7月31日金曜日

とにかく

新しい団体の下に帰ることになったということは、前の教会は、ない。時には紅海が別れ、はっかり備えられた道が目の前に見える。「これが道だ。これに歩め。」という声が聞こえるしかないときもある。とにかく愛する沖縄に戻ることが許されただけで感謝だった。

ビックリしたことは、長年、沖縄で一緒に伝道していたワーラ先生たちも、同じ不安を感じて一緒に宣教団体を変えて、BMMで帰ることになっていた!

ワーラ先生たちが住む家は、私たちが見つけた住まいのすぐ近くにした。前の家に行くには車が必要だったのに、それにワーラ先生たちが離島伝道に専念したときから車だけでなく船も要るようだった。だけどこれからは歩いて行ける、家はすぐそこだった。(この3人の子たちなの、共産党ごっこをしてくれたのが!)とにかく嬉しかった。

長田おじいちゃんはいない。だけど、祖先崇拝の奴隷から解放されたキクおばさんと娘さんたちと家族たちが待っていた。教会となる礼拝堂はないが、礼拝する信者は既にいる。

 

そう。自分の写真のバイクとヘルメット、当蔵時代から一緒のワーラ先生のものなの!

それに、宇堅村からの女性数人がタクシーで会いに来てくれました。(そう、私に名前をくれたおばさんたち!)長い話を短くするけれど、これらの信者・カナダのおじいちゃん・ワーラ家・大城家で、すぐ集まり始めなさいと、神様に導かれたように感じて、大城宅のリビングで毎週日曜集会をして(皆で賛美し、祈って、メッセージはダディー)、近所からも新しい人が加えられるよう祈って、とにかく、始めました。

リビングで始める

古堅で自己紹介配り

リビングに交わりの為に集まった宇堅のおばさんたち、ワーラファミリーと大城ファミリー、おじいちゃん。ジューンとジャニスは時々マミーとダディーの自己紹介配りを一緒にした。

 

ワーラ先生の証・案内図

その一年間、一生懸命した。そう表現するしかない。昼間は、子供たちは学校に行って、大人は、沖縄での開拓伝道を色々考えていた。考えていたと、いうより、父・ワーラ先生の自己紹介の証を書いた者を印刷して、家族の写真や家の地図などを載せたものを住宅の一軒一軒に配っていた。ワーラ先生の子供達、時々ジャニスと私も、学校から帰ると、自由時間があると、これを「ファミリー・プロジェクト」と、みんなで配っていた。








2026年7月29日水曜日

嬉しい知らせ

沖縄からの一つの喜ばしい知らせは長田おじいちゃんのことでした。亡くなったことは、悲しくても、神様がこの死をも用いて祝福を与えてくれたことを感謝せずにはいられませんでした。

クリスチャンの内に宿る聖霊のちからを、おじいちゃんを通して学ぶことができました。沖縄の祖先崇拝に「ユタ」という占い師のような者がいます。様々な困難・悲劇があるとき、このユタが問題の原因(何が先祖の祟りをおこしたか)、解決法を指示します。詐欺師別として、悪霊のちからをかりて先のことを予告したりします。

母の従妹は、この様な、特別なちからがあり、ユタになることになっていました。長田おじいちゃんに会うたび、おばさんの内にいた悪霊とおじいちゃんの内にいた聖霊はぶつかり会っていました。おばさんが就任式で正式にユタとして認められる日がおじいちゃんの葬儀だったのです。おばさんは、葬式の方に出席しました。(おばさんの目はひどい憎しみと怒りに覆われていたため、彼女が写っている写真は全部捨てられたそうです。)

キクおばさん

おばさんは、他の人に対してちからがあっても、おじいちゃんに対しては、何もすることが出来なかった、死ぬときでさえおじいちゃんの神様に勝つことが出来なかったと言っていました。その日おばさんは「負けた」と認め、1週間以内イエス様を信じたのです。それから新しいちからを知ることになり、あまりも変わったので、主から離れていた娘3人が教会に帰って来たのです。一人は7歳のとき、この長田おじいちゃんに導かれた娘でした。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊な実を結びます。 ヨハネ12:24

長田おじいちゃんが導いた、いちばん下の瑠美子さんは、里子、私、愛子より数年年上です。私たちと一緒に住むことになりました。まえにも色々家族を手伝ってくれたことがあったので、時々は姉になってくればいいのにと密かに思うことがあったのを覚えています。

瑠美子ねえちゃんと海岸でピクニック

自分は日本語はうまく話せなかったのですが、この瑠美子さんは聖書が好きだったから、自分の心の悩みを聖書の教えを通して「話す」ことが出来ました。

ある日、...彼女の落胆・絶望と大変な暗闇を聞くと、私は「話さない」では居られなくて、聖書をある箇所に開いて、側に持って行きました。

「私、日本語上手に言えないけど、これ読んで」と言ってみました。「私を助けてくれる。」自分の日本語、通じてるかなと、思いながら続けました。「自分自身を見ると落胆する。当たり前。自分は弱い、罪深い、とても悪いだから。神様を見ると、助かる。」これを言うのだけが精一杯でした。

開かれていた詩篇42編を読みながら、彼女は涙を流していいました。

「これ、ほんとうにいいね...」と。

彼女の顔を見て、言ってみました。「瑠美子ねえちゃん、神学校に行くこと、考えたことある?」こんなに聖書を愛しているんだもん。

一年間、瑠美子さんは、目の前でどんどん変わりました。絶望と「何とか生きている」の歩みから自発的に奉仕するようになり、気が付くと、神学校に行くと献身してくれました!

いつかルミ子ちゃんが神学校に行くことがおじいちゃんの夢だったのです。天国からおじいちゃんは見てるかなと、時々思います。生きてたら、すごく嬉しかったと思う。


ルミ子ちゃんが本当に神学校にいくことになった!

搭乗中

ということで、大学学費の為には、少なくとも一年間バイトすると思ったのが、 1夏だけで終わりました 。 気が付くと、自分は飛行機に乗って、来年の秋入学でなく、今年ボブジョーンズに向かっていました! でも、なんで、ボブジョーンズほど厳しいところを選んだのかと、友だちに聞かれ、ジョイス...