先生がいた頃は、家で集会を開いていました。また従弟のカナリアを飼っていたので、賛美する時、一緒に歌ってくれました。人間の楽器より美しく、教会堂として与えられたのは、古い古い所。壁の所々に穴が開いていて、新聞紙でふさがれていました。米軍基地から捨てられる木材とペンキを無料でもらうことができて、建物を改造することができました。診療所として使わレっていた所が、集会堂・台所・寝室・とシャワー・トイレになりました。
Chippyも一緒
父は毎週金曜んい刑務所に行き、ある信者の長男を訪問していました。最後の一年にその人は救われ、神の子として出してくることが出来ました。刑務所にいる間、電気技師になる訓練を受けていたので、教会の電気工事をしてくれて、10万円以上助かりました。字架の全き赦しをも知ったこの人の顔には、犯罪・処罰の影は、少しも見えません。
寝室・シャワーなどは、教会に住むスタッフのために作ったものですけれど、未だだれも与えられていませんでした。私たち家族が朝早く教会に行って、ドア・窓を開けたり、椅子を並べたり、電気を付けたりして、集会が全部終わったら、後片付け・戸締りをしていたので、結局帰ったのは、10時半のときがありました。
そして、車の中では、教会のことを、いつも話していました。ある晩、そう話しながら、何となく変な気持ちになりました。この、田舎道に(照明はありませんでした)確か、さっき、見たのは、車一台が左に曲がった所に、交差点がなかったはず!U-ターンして確かめに行きました。
教会に早く行って戸締りもした
路肩に車を止め、父は懐中電灯を持って少し先を歩いて行きました。道は時にボウボウと生える草を見ていました。ちょっとすると...
「思った通り。車があった!」と父の声がした。「待てよ。下に人が!」
カンカン音が聞こえます。父は懐中電灯で車の下を照らすと、人間の叫び声が聞こえました。
「Back the car off me!」(おれから車をバックしてくれ!)米軍人でした。でも、3人だけでは、父母と私だけの力は全然足りない。車は路肩が急になった所に落ちていたので、他の人も助けてくれないと何もできない。
母と一緒に道の方に行き、車を止めて、助けてもらおうと思いましたけれど、車は中々とまりません。無理もありません。夜中、照明もない寂しい一本道に怪しい人間2人が泊まるように何か叫んでいる?
2台止まらなかったので、次の車が来た時、自分は母の顔を見て、息を吸い込んで道の真ん中に出て手を出しました。止まって。お願い。
道は狭くて、止まるしかありませんでした。母は車の方に走って行って説明しました。
「人が車の下敷きになっています!助けて下さい!男の力が必要です!」
車から男性3人が手を貸してくれると言いました。
次の車も、同じように止めました。今度は、女性ばかり。ほとんど助けになるはずありません。次の車は、男性2人。事情を聞いたら、すぐ車の所に走って行きました。
一人はギアをバックに入れ、残りの人は、せ~ので車を押しました。車は路肩までバックされました。ほとんどの人は何も言わないで、そのまま帰りました。一人は、車の下の人が大丈夫であることを確認して、そのあと、すぐ帰った。他はもっと若い人、知り合いだったのかな、彼らは感謝されるのを待たず、すぐいなくなった。
カン・・・カン・・・と何か聞こえた
母は車の下にいた人の所にすぐ行きました(母は看護婦になることを考えたことがあって、血を見ても平気です)。この点で、父は正反対でした。他人の血を見ると、すぐ具合悪くなります。その人は自分の力で立ち、背の低い母の隣では巨人に見えました。アメリカン・フットボールのプロ選手みたいと、私は思いました。
「I couldn’t move! I just couldn’t move!」(動けなかった。全く動けなかった。)と彼は何度も何度も言いました。「Not with the car on top of me like that!」(そのように車の下敷きになって。)
少しづつ何があったのか分かってきました:アルコール飲み過ぎて家に帰る途中、道端で用を足すつもりだったけれど、酔いのため、ギアをパークにせず、ニュートラルにしたみたいで、車は自分の後ろを転がってきた。ドンと何かに押されたと思って回ると、車に倒され、彼は腕を車のタイヤーとぼうぼう生えている草に挟まれてしまった。
現地人は、そこ辺りの植物を「ハブ草」と呼んでいた。猛毒の沖縄蛇が生息する草と知られていたからだ。男は、自分のケガは大したものではないけれど、朝まで人間に見つからないで、蛇にやられてしまったら、自分は死んでいると、知っていた。夜のいなかの道は明かりがない、人に見つからないかもしれない。だから動ける足で車体下をガンガン蹴ったりしてなんとか抜けだそうとしていたのです。
ところが、私たちは、この人の車を見て、バックしたのです。腕からは血が出てるけれど、大丈夫。骨は折れていないと言っています。
酔っている人を運転させるとまた事故になると思い、父はこの人を私たちの車に乗せて家まで送ることにしました。
酔っていたかもしれませんけれど、気は確かでした。命が助かったことは、はっきり理解していました。
「みなさんのために、わたしに、できること、ありませんか。何か必要なもの、ありませんか。」と言っていました。「お金?家?何かの修理・工事が必要ですか。私は何でもします。自由に言って下さい。何でもやります。」
私たちが宣教師であることを話、ちょうどいい時に神様にそのように案内されたことを話すと、彼は教会に献金でもと、財布からお金を取り出すところでした。父はもちろん、それを止めて、近くに住んでいるクリスチャンの米軍人の名前を出しました。この人に会って、米軍人のための教会に連れていってもらうようにと、言っていました。
でも、その人のその時の反応に考えさせられましった。命を助けてもらった人のためには、何もする。それが自然に流れ出たことばでしった。彼にとって、当たり前のこと。
私たちクリスチャンは、何となさけない者だろうと、思いました。私たちは、鉄と毒の危険からでなく、永遠の地獄の苦しみから逃れたのです。私たちの自然な反応も、「私に何かできるものはありませんか。主よ、何でもします!」他の反応は、考えられません。
しかし、聖書の中で、使徒パウロが信者を献身に勧めたとき、「あなた方に願います」といいました。あたりませのことを、なぜ私たち救われた者は、お願いされなければならないのでしょうか。
そういうわけですから。兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的なれいはいです。ローマ12:1
姉妹が来るまで奏楽