マミーと沖縄で
部長の姪っ子ジャニスもサマースクールにいました。「ジューン、ちょっと話があるんだけど。」寮長のようなものになっていたジャニスの顔は、何か心配そうでした。空いている部屋に行き2人きりになりました。「びっくりしないでちょうだい。あのね、うわさ話を聞いているんだけど、これはジューンに伝えた方がいいと思ったの。他の方面から聞かされるよりいいと思ったから。実はね...」
「なあに。どうしたの。」
「ジューンのお母さんのことなんだけど...ねえ、何も聞いていないの?」
「べつに。サマースクールのちょっと前に健康のために病院に行って色々検査したけど。それがどうしたの?」
「それ以上、何も聞いていない?」
「だから、何も聞いていない。」
「じゃあね、実はね、話によると、ジューンのお母さんは、ガンのためにハワイの病院に行ったんだって。」
クイーンズ病院、ホノルル
「ああ、それは何かの聞き違い。病院のお医者さんは、ハワイの二世だったの。前の医者は分からないから、もっと若い先生に紹介すると、言ってた。そのことじゃないかしら。」
「そう?だったらいいけど。ただ、こういう噂話を聞いているから、ジューンに知らせた方がいいと思ったの。」
「心配してくれて、ありがとう。その話が本当のことだったら、家から手紙が来るから。そういうものが来るまで心配しないことにする。」
一週間したら、「そういう手紙」が来ました。そのすぐ後にハワイからの電話も。
母はハワイの病院で胃がんが確認され、何の治療も手遅れだということが分かりました。残された命は一年あるかどうか、分からないl
それで、私は、どうしたらいいの。
7月の勉強を済ませて、ハワイにいらっしゃい。そのときまでジョイスとジャニスもいるはずと、いうことでした。
心の備えは主の責任です。その責任を果たします。
サマースクールに残る生徒は少なく、雰囲気も、いつものボブジョーンズと全然違いました。友だちと話す機会も時間もあるので、もっと早く、親しくなれました。
ある日、このようにできた友人が昼間なのにベッドに寝ていました。どうしたのと、聞いてみると、歯医者でもらった痛み止め薬が切れて、歯の痛みがたまらないと、涙を流しながら答えました。
その時の自分の気持ちを、よく覚えています。何かしてあげたいけれど、何もできない。苦しんでいる相手を見るだけ・・・すぐ思いました:神様は私をハワイに行くための準備をしているのだと。
実際そういうことになりました。家族が他の親戚の結婚式に出席した時に、私は病院に残って母を看病しました。痛みを抑えようと空気を手で叩く時、側にいたのは私でした。(私はてんかん・甲状腺の薬の問題があったので、みんなと自由にうごけなかったので、母と一緒でした。)大学で、あの経験がなかったら、もっと苦しんでいたと思います。
サマースクールの一つの授業を教えてくれたHansel先生を感謝に思います。教師たちは、学生たちの夏から祈りの課題をずっと祈って、秋新学期会った時、Hansei先生に、「お母さんの具合は、どうですか。」と聞かれました。
「とてもげんき。」
「とても元気。これ以上元気なときはなかったと思います。」と返事し、先生はわかってくれました。
* * *
でも、神様の働きの素晴らしさを考えば考えるほど、感謝するしかありませんでした。17歳の私は、宣教師になろうと、ボブジョーンズで訓練されることしか頭にありませんでした。マミーの体がガンに襲われ、命があと少ないことは、全然わかりませんでした。子供3人のなかで、ジューンがいちばん弱い。母親の側にいなければならないと知っていた神様は、大学にいた私の体を、病気にさせ、沖縄に連れてこさせたのです。でも「病気」といっても、甲状腺の低機能の堺線という、勉強を一時的中断させる、薬とリハビリ1年ですぐ戻れる軽いもの、致命的問題ではない。だけど、スグ学校に戻らないで、親子がなるべく長く一緒に居られるように、(実際、8月に母は亡くなったので、それが最後の地上の1年間だったのです!)当時の沖縄の病院が必要な検査器具が揃っていないようにしてくれたのです!
良くなるのに、なんで、こんなに時間がかかっているんだろうと、私はジタバタしていたけれど。
海中公園で親子タイム
また、新しい祈りを覚えました:「神様、これから、私のわがままをかなえないで下さい。時々分からないで、とんでもないことをお願いしちゃうみたい。聞かないで下さいね!」