結局、そのレッスンは教えられませんでした。一月になって、私は気管支炎になり、2週間半も入院しなければならないことになりました。
いま考えてみると、その入院期間中いちばん助けになったのは、姉のジョイスでした。姉は、ほとんど毎日訪問しに来てくれたり、夜は病院まで手紙を送ってくれたりしていました。(ボブジョーンズでは、寮とか病院の間の特別学生郵便システムがあります。毎晩(雨の日も)数十人の協力で、部屋から部屋までと手紙が配られます。)あ、いま思ったけれど、メールになってから、これはもうなくなっているのね。なんだか悲しい。ボブジョーンズの思い出話は、あの学生郵便システムにいっぱいあったから。
私は入院していたので自分でできなかったため、ジョイスが代わりに後期の授業のために、どの教科書が必要なのか、書店での定価を調べたり、女子寮に行って中古・貸出の教科書も調べてくれたりして、莫大な時間をさいてくれた。
ジョイスが行ってくれた
でも何よりも宝物と感じたのは、ジョイスが買ってくれた2冊のいいノート(私は、いつも安物を使っていた)。ジャーナルとして使って、初めて聖書の学びの時に広いマージンがあったから、自分のチェーン式勉強を作ることができて、スゴク面白くなった。日曜日は早く起きてトイレに行き、カーテンをベッドの周りに引き、看護士たちは、私を静かにさせてくれた。(これがBob Jones Infirmaryだったからだと思う。普通の病院では、こんなの、とてもできなかった。)
休んでも熱は下がらないし、咳は止まりません。(咳止め薬は3種類も飲まされました。)
30秒も続く強い咳に変わり、ある晩、脇の筋を違えてしまいました。その時の痛みは思い出したくありません。周りにうめき声を聞かせたくなかったので、部屋を出たことを覚えています。トイレで一人で苦しんでいると思っていた時、聞こえてきたようでした:
「昼には、主が恵みをほどこし、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」 詩篇42:8
自分の言葉では十分に言えません。でも、その時、感じました。主は、よく分かっている。十字架の苦しみを私たちの代わりに受けて下さった主は分かっている。そして共にいて、離れることはない。
歌詞があたまの中を流れました:
ちょうど必要な時に イエス様は近くにいて下さる つまづく時に 恐れる時に
たすけて下さる・なぐさめて下さる いちばん必要なときに
ちょうど必要な時に イエス様は強くいて下さる 一日中重荷を負って下さり あらゆる
悲しみの中にも賛美を授けて下さる いちばん必要なときに
ちょうど必要な時に イエス様は私の全てになって下さる 呼び求める時は聞いて下さり
倒れないように優しく見守って下さる いちばん必要なときに
肉体的に楽だったとは言えませんけれど、その晩の祝福、「イエス様と私」という、親しい関係は、その時まで知りませんでした。体の痛みを避けるために、その晩の経験を手放したいと、思ったことは一度もありません。天国に着くまで、この恵みを分かち合う、相応しい言葉は、見つからないと思います。
(30年後も、あまり強く笑うと、時々脇の筋肉がピーンと痛くなることがありました。正しく治らなかったのかもしれません。)
入院の最後の数日間、平らになって寝ることはできませんでした。筋肉がある程度よくなるまで、歩くとき、真っすぐ立てませんでした。3日でよくなると思われたものが、こんなに長く続いたので、大学のお医者さん(サイトウという人!日経人。)は、体は大分弱っているので、勉強は後期の終わりまで続けられないだろう、家に帰ったらどうですかと、言いました。私の甲状腺も調てもらった方がいいと、言いました。
Barge Memorial Infirmary(保険院)
ちょうどその時、「無理しなくてもいい、沖縄に来て休んだらどう」という連絡が、沖縄にいる母から来た。導きではないかと、ジョイスとディーニーも同意してくれた。
父母に電話し、医者に言われたことを話す前に母は私の夏からの健康の不安定なことを考えて、体をこわしたらいけないから沖縄に帰ってきて、少し休んでみたらどうですかと言ってくれました。母も自分の若い時のことを思い出していたのでしょう。
後期の休学が決まった時前期の最後のMPBメッセンジャーをお願いされました。1年のときから、極東アジアのメッセンジャーをしたり、食堂アルバイト性の祈り団で話したり(1時間後で行われていた)、高校祈り団でも重荷を分かち合ったり(別の建物)していたので、急に新しいことをお願いされて困るということではありませんでした。
そのときの準備を覚えています。この様に準備するように導かれたのは、その時が初めてで、それきりです。自分の経験に目を引いたり、人の感情に訴えたりしてはいけない、と示され、表現・表情を抑えるように考えました。それに、特別宣教チャレンジを準備するより、ジャーナルに記載されたものを分かち合い、霊的励ましを与えることになりました。MPBの方からは、何のことを話すようにということは一つもありませんでした。主に道かれるようにということでした。
こんどMPBで話す時は・・・ 「わたしは祈っています。」
その日は普通の倍の人が出席していました。私の心は、自分でもびっくりする程落ちついていて、神様の働きを期待していたことをおぼえています。話を始める前、ジョイスは私のためにピりピ1:9-11を読んで涙ぐんで紹介してくれました(そのときまで、ジョイスはMPB女子会長・司会者になっていました。)
「私は祈っています。あなたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたが、真に優れたものを見分けることができるようになりますように。またあなたが、キリストの目には純粋で避難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現れますように。」
賛美のときに、何かリクエストがありますかと聞かれたので、入院中、ルームメイトに送られて励ましとなった聖歌590にしました。「救い主イエスと共に行く身は」です。
救い主イエスと共に行く身は
乏しきことなく恐れもあらじ
イエスは安き持て心たらわせ(満足させ)
物事すべてを良きに成したもう
坂道に強き御手を差し伸べ
試みのときは恵みをたもう
弱き我がたまの渇くおりしも
目の前の岩は裂けて水沸く
いかに満ちみてる恵み成るかや
約束しませる家に帰らば
我がたまは歌わん力の限り
君に守られて今日まで来ぬと
どういうものを分かち合ったのかは、はっきり覚えていません。十字架で示された愛に目が開かれたこと、心から神に近づこうとすること等でした(ジャーナルには、こう記載されてある)。主よ、語り掛けてくださいと、祈りながら、単調で読んだことを覚えています。途中で夢中になって、ジェスチャーを加えてしまったけれど。
Julie Keyt, Janice Hoxey
MPBが終った後、MPBでできた友だちが、自分が沖縄に行く前に会いに来ました。その後、もちろん、その学年を同じ状態で始めたジュリー・ジャニスとも会いました(2人ともMPBレギュラーでした)。涙と感謝と導きの祈りで別れました。
これからも同じお父様に守られて