新しい団体の下に帰ることになったということは、前の教会は、ない。時には紅海が別れ、はっかり備えられた道が目の前に見える。「これが道だ。これに歩め。」という声が聞こえるしかないときもある。とにかく愛する沖縄に戻ることが許されただけで感謝だった。
ビックリしたことは、長年、沖縄で一緒に伝道していたワーラ先生たちも、同じ不安を感じて一緒に宣教団体を変えて、BMMで帰ることになっていた!
ワーラ先生たちが住む家は、私たちが見つけた住まいのすぐ近くにした。前の家に行くには車が必要だったのに、それにワーラ先生たちが離島伝道に専念したときから車だけでなく船も要るようだった。だけどこれからは歩いて行ける、家はすぐそこだった。(この3人の子たちなの、共産党ごっこをしてくれたのが!)とにかく嬉しかった。
長田おじいちゃんはいない。だけど、祖先崇拝の奴隷から解放されたキクおばさんと娘さんたちと家族たちが待っていた。教会となる礼拝堂はないが、礼拝する信者は既にいる。
そう。自分の写真のバイクとヘルメット、当蔵時代から一緒のワーラ先生のものなの!
それに、宇堅村からの女性数人がタクシーで会いに来てくれました。(そう、私に名前をくれたおばさんたち!)長い話を短くするけれど、これらの信者・カナダのおじいちゃん・ワーラ家・大城家で、すぐ集まり始めなさいと、神様に導かれたように感じて、大城宅のリビングで毎週日曜集会をして(皆で賛美し、祈って、メッセージはダディー)、近所からも新しい人が加えられるよう祈って、とにかく、始めました。
リビングで始める
古堅で自己紹介配り
リビングに交わりの為に集まった宇堅のおばさんたち、ワーラファミリーと大城ファミリー、おじいちゃん。ジューンとジャニスは時々マミーとダディーの自己紹介配りを一緒にした。
ワーラ先生の証・案内図
その一年間、一生懸命した。そう表現するしかない。昼間は、子供たちは学校に行って、大人は、沖縄での開拓伝道を色々考えていた。考えていたと、いうより、父・ワーラ先生の自己紹介の証を書いた者を印刷して、家族の写真や家の地図などを載せたものを住宅の一軒一軒に配っていた。ワーラ先生の子供達、時々ジャニスと私も、学校から帰ると、自由時間があると、これを「ファミリー・プロジェクト」と、みんなで配っていた。