その学期が終わったとき、沖縄に帰ることを知っていたので、友人・クラスメートに年鑑をサインしてもらいました。親しくしていたジーナという子が(バレーのチームメイト)自分の年鑑を私にサインしてもらいたいと言ってくれました。
ジーナは未信者で、神様の話は嫌がっていました。他の考え方はよく合ったのでけれど、信仰の話をしようとすると、友情がだめになると言って、いつも怒るのでした。ですから、年鑑をサインするとき、福音をはっきり書くより、最後に「ジーナのために祈っています。」と付け加えただけでした。彼女に本を返したとき、すぐ開いて私の書いたものを読みました。そして、カッと怒ったのです。
「ジューン、なんでそんなこと、書かなければならないの。」
自分にいちばん大切なことを、親しい友人にも伝えることができない。ジュディという妹の友人の車に乗っているとき、その欲求不満と悲しみをこぼし出すように話しました。(彼女もイエス様を信じていなかったのですけれど!)
ジュディ・ジャニス・ジューン浴衣で
ジュディは、そのとき、こう答えてくれました:「ジューンの気持ち、分かると思うわよ。私だって、ジューンの信じていることを信じていたら、ガラスの破片を這ってまで、人にそのことを伝えようとしていると思う。」
自分の足りなさに恥ずかしくなり、神様、私にこのような重荷を与えてくださいと、祈るしかありませんでした。沖縄に帰る時は、自分はスゴクりっぱなことをするつもりは全然ありませんでした。かえって:
わたしの高校のときの、賛美の経験はこういうものでした:前に聞いていたものは自分を引きずり下ろすもの:混乱・怒り・肉欲・自我・絶望等々、と知っていました。これえらから精神的に「手を切りたい」と思いました。だけど、一生懸命暗記した御言葉を口ずさんだり、新しく覚えた讃美歌を歌ったりしましたが、ロックの音楽が自然にあたまの中を流れるので、相当悩まさました。
ある日食器洗いをしながら、自分が心の中で讃美して、ロック音楽は1週間も考えていないことに気が付いて、「勝利!」と思ったのを覚えています。空が出てきた!
いままでは、悪を憎むことができるようにと、神様にお願いしていたけれど、これからは、愛で溢れる歌が与えられるようにと祈りました。
「シオンの悲しむ者たちに、灰のかわりに頭の飾り、悲しみの代わりに喜びの油、憂いの心の代わりに賛美のがいとう」(イザヤ61:3)
自分はやっと立てたかなと思うけれど、用いられたい、と思い、まあ、宣教師の両親におんぶされ沖縄に向かいました。