2026年7月17日金曜日

霧に包まれて

父と母は他のものに責められていました。数年感じていたことです。沖縄での伝道法が変わっていたのです。私たちだけが時代おくれなのかなと、父母は、考えました。

昔の沖縄の伝道というのは、福音主義の教会だけが加わったものです。救いの唯一の道はキリストを信じ受け入れることによると教える教会だけでした。しかし、最近(これは1970年頃の話です)の伝道法というものは、近代主義・現代主義・自由主義の教会も参加していたのです。

その頃、「総動員伝道」というものが初めて沖縄の教会にやってきました。

父は、ファローアップ委員会の会長をしていました。集会の決心者カードを各教会に送るのが会長の責任だったのです。決心者の住んでいる所に一番近い教会に決心者カードを送りました。それがどんな教会であっても、参加教会であれば、会長は決心者カードを送ることになっていました。父は心をとても痛めて送りました。

何かがおかしい、と感じました。だけどこれが、宣教団体の新しいやりかた、アメリカではみんなこうしていると言われました。

私たち3人も学校で色々なことに出会っていました。いままで、「自我」を無にしてまで神様の栄光を求めると教えられていたのが、自尊心、自己表現、自由選択が主張されるようになっていました。聖書の全き権威の代わりに比較真理が教えられていました。このようなことが聞こえるようになりました。「新福音主義」という名を抱えて。

当時は、はっきりわかりませんでしたけれど、そのことと戦っている最中は、霧に包まれているようで、確実な判断ができなくなってしまいました。

そのとき与えられたみ言葉はエレミヤ6:16だったのです。

「昔からの通り道、幸いの道は、どこにあるかをたずね、それを歩んで、あなたがたの憩いをみいだせ。」

父と母は、新福音主義の本をいっぱい読み、宣教団体のリーダーに話してみようとしました。説明で安心させてくれるのでなく、荷物になる考え方を早く捨てるようにと、叱られる一方でした。

心の中で誤っていると思う道に、信者を導くことはできないと、両親は思いました。でも、団体からの指示は、そこを行くことでした。沖縄の教会は、私たちの団体の他の宣教師もいたので、私たちだけが勝手に動くことはできません。

ということは......神様にも、自分の良心にも、正直に歩もうと思うなら...私たちに残された道は一つしかなかったのです。宣教団体と別れることです。

極東福音団体。父と母は、20年以上も、この団体に入ってて、私たち3人はこの「団体の中で」生まれてきたのです。私たちにとって、団体が家族、宣教師先生たちがおじさんやおばさん、宣教師の子供がいとこのようになっていたのです。この家族から離れる?まさか。

それに一番大きな問題。団体から離れるということは、沖縄の愛する兄弟姉妹と...祖先崇拝との戦いと勝利を知り、病気と死を祈りで通って、結婚・離婚を見て、犯行と献身で涙を流し、一緒に神様の働きを喜んできた。この兄弟姉妹と別に羊の群れを始める?とても考えられませんでした。

何か他の道はないかと、思いながら、ファーロのためにアメリカに帰りました。

霧に包まれて

父と母は他のものに責められていました。数年感じていたことです。沖縄での伝道法が変わっていたのです。私たちだけが時代おくれなのかなと、父母は、考えました。 昔の沖縄の伝道というのは、福音主義の教会だけが加わったものです。救いの唯一の道はキリストを信じ受け入れることによると教える教会...