自分は小学校を済ませたあとの夏にフルタイムに献身して、これから主のために一生をささげると、いうことだから、先は明るくなるはずだけど・・・中学校から・・・少し分かち合っていいですか。
秋から中学生になり、色々なことが起こり始めました。
権威に従うことを学んでいました。生徒同士の争いは嫌でしたけれど、先生に対しての口答えは許せないと思っていました。生徒を厳しく叱る者が嫌われることは、当然。でも、悪いところを直すためなら、生徒がかわいいので、嫌われて当然なことをする教師がいる。実は生徒にたいしての強い愛を、もっているのは、こういう先生ではないかと、母に教えられました。
だけど、学校の生徒は、主に大きく2つのグループに分かれていました。まずは、宣教師、米軍人、ビジネスマン等の子供(英語を自由に話す)グループでした。もう一つは「セカンド・ランゲージ」生徒のグループ、この生徒たちは大抵、この学校で勉強するために、ことばを覚えた現地人だったので、教師と話す時以外は日本語で話していました。大抵、この2つのグループは別々にうごいていました。
学校生活の中で人気者、クラス役員などは、最初のグループの人で、他のグループは、無視されていました。最初のグループに入っていた私は、6年の終わりのごろからこういう問題のことに気が付いて来ました。
何とかしなくちゃと思うようになりました。
クリスチャン同士だから、もっと仲良くしないと。
でも、私が2つのグループを一緒にしようと動き始めたら、最初のグループはそれを嫌がり、少しづつ私を軽視するようになりました。クリスチャンにふさわしい調和をつくりたいという気持ちが、かえって利用されてしまうことが、ありました。
6年まで人気をしっかり握っていた私は、中1年から仲間外れにされました。途中から引き返すことはできたのです。昼は、英語を喋るグループと一緒に食事し、学校活動は、英語を喋るグループと一緒に走り回り、以前の立場を取り戻すことができたのです。
中1のクラス
だけど、弱い者いじめを嫌っていた私が、同級生の噂話のもととなってしまいました。
ジョイスとジャニスは何も言いませんでしたけれど、「ジューン、なんでそんなことするんだろう。」と、思うこともあったそうです。
「共産党とクリスチャン」の遊びは、このとき、ためになったのではないでしょうか。どんなに人間に反対されても、正しいことを忠実にすること。それで中学校は苦しく感じましたけれど、自分の道を曲げようとはしませんでした。
こういうことを書いて、自分のことをよく思っているのかと、読者に思われるでしょうか。こんな反応をいちばん恐れているのですけれど。でも、実は、正しいことをするように見えても、、神は私の心がどんなものだったのか、よく分かっていました。
クリスチャンが正しい行動をとるとき、それはイエス様のみを見上げてしなければならないものです。でも私は、イエス様をほとんど見うしなっていたのではないかと、思います。イザヤ64:6にあるように、私のしようとしている「正しいこと」は、実際、汚れ物のようなものだったと思います。
悲しいけれど...私は、イエス様の愛を思ってこういうことをし始めたのですけれど、そのあと、自分と周りの人を見るようになったのです。自分を見て高慢になっていました。他の人を軽べつしたくないと。それで、人を見下す人を見下すようになっていたのです!自分のしていたことは正しいと、だれにも認めてくれなかったとに不快感がありました。それに、周りの人を見て落胆していました。いや、落胆だけでなく、クリスチャン生活にも利用されたことを、悔しく、苦く感じていたのでした。
決して美しい、誇ることのできる姿ではありません。醜い、みじめな者でした。自分の心は神から段々離れていきました。このことも、はっきり覚えています。以前は一日中、いつでも口にパッと祈りを出すような私が祈りたくなくなったこと。聖書を読むのが苦痛に感じたこと。霊的生活は、少しは休んでみようとも思ったことを!