2026年7月26日日曜日

キャシーとおじいちゃん

宣教団体が変わったので、これから、今まで祈ってくれた教会皆に今の状態を説明して、ある程度サポートの調節は必要だから、新しい教会の指示を求めてデピュテーションも必要。沖縄に帰れるまでは、とにかく、あと1年ぐらいかなと、思いました。

2年に上がった時、キャシーと一緒のスタディ授業はありませんでしたけれど、学校の始まる前と終わった後、昼食の時など会って話すことはありました。ある日、学校のはじまる前、キャシーが私の所に走ってきて、手紙を私の手に入れ、何も言わないでまたどこかに走って行きました。何だろう。読んでみました。

「ジューン、去年の決心は、心からイエス様を信じたのではありませんでした。今は、信じていますけど、その時、私はとても寂しくてーー親友を失くしたばかりーークリスチャンになると言ったら、宣教師の子供は友達になってくれると思っただけです。いつも色々話してくれて、ありがとう。こういう結果になったのは、そのためだと思います。でも、今のところ、誰にも何も言わないでください。自分の心で確信したいものがあるので、それができたら、ジューンに言いますから、その時からは、誰にでも伝えていいです。ーーキャシー」

キャシー!今度は、ユダヤ人のキャシーが救われた!すぐ母に伝えたかったのですけれど、キャシーがいいと言うまで待ちました。一週間後、学校が終わった時、「いい」と言われたので、私は家に走って行って母に(学校ではジャニスに)伝えました。ジョイスにも手紙を出して、この嬉しい知らせを伝えました。ハレルヤ!

父と母が主に忠実に従い、宣教団体を出ていなかったら、同じ団体で沖縄に帰っていたら、2年目、キャシーが救われるのを見ることができなかったでしょう。家族からもすごく反対されたので、ファローアップは、大変でした。ユダヤ人は、イエス様の誕生を、勿論いわいません。キャシーはクリスマスの日を私たちと一緒に過ごすことにしました。沖縄に帰っていたら、一年間も、集中してキャシーを助けることができなかったでしょう。

キャシー初めてクリスマスを祝う

おまけに...その一年間、救われたばかりのキャシーに聖書の真理、人間観の魅力と危険、などを教え込むことができました。(この様に訓練した人は、他に一人もいません!)一年したら私たちが沖縄に帰ることを考え、キャシーを聖書にしっかり結びつけなければならないと、思っていたのです。

キャシーはもっともっと私たちの家に来るようになっていました。言語が好きなキャシーは、自分で日本語を覚えて、ある日、笑顔で言いました。「イエスサマワ ワタシノ スクイヌシ デス。」←「コノニホンゴ タダシイ デスカ」?

宣教師は皆キャシーのように言葉を獲得してくれたらいいのにと、思いました。

ファーロの集会の一つ(別の宣教師先生が説教者)は、家族の救いのことでした。家族のために、もっと重荷をもって祈りたいという招きでした。その時、父と母は前にでてひざまづき、兄弟姉妹と両親のために涙を流していたのを覚えています。

ファーロの2年目、カナダのおばあちゃまが亡くなり、おじいちゃまが一緒に住むことになりました。

おじいちゃまは、とても優しい、とてもいい人でした。私たち3人は、小さい時から、おじいちゃまが大好きでした。この様ないい人が、70代になって、救われることはあるかなと、思いました。

キャシーが、自分の日本語を使ってみたいと思い、おじいちゃまの所に話しかけました。日本語で!「イエス様は私の救い主はです。おじいちゃんもイエス様を信じて下さい。」

それだけでした。キャシーはキャッと恥ずかしそうに逃げちゃったけれど、おじいちゃんはニコニコ。「ホ~。じょうす、じょうす。ベリーグッド、キャシー。」

おじいちゃん、88歳誕生日

だけど、私のことをクリスチャンと言う、この二重人格のジューンと一緒に住んでいるおじいちゃんはイエス様を信じる訳がないと、信じていました。ある日、「皆に大事なことを聞かせたい」と、父は家族をおおせつまに呼び集めました。

父と祖父は、ゆっくり話しました。「さっきの話、皆に聞いてもらってもいいよね。」

「いいよ。」

「パパ、人間はみんな罪人で、心の中に悪いものをもっているーーパパもーー、だから天国に行けない、地獄に行かなければならないことを、信じている?」

「信じているよ。」

「だけど、イエス様が十字架の上で私たちのためにーーパパのためにもーー死んでくださったことを、信じる?」

「信じるよ。」

「イエス様は、神様だから、生き返ったと聖書に書かれてある。パパ、これを信じて、神様に罪を赦してもらったら、天国にいけるけど、今、ここでイエス様に祈らない。」

「ああ、そうしたい。」

本当に子供の用に、おじいちゃんは頭を下げ、目を閉じ、神様に祈りました。どうぞ私の罪を赦してください。イエス様を信じます。と。

皆が頭を上げ、目を開けると、おじいちゃんはこう言いました。「面白い話があるが。聞いてくれんか。」と。

まだ高校生だったとき(沖縄の天願村の学校)、金髪の、目の緑色の独身宣教師夫人が沖縄に来ていた。18世紀の話です。祖父は、好奇心に引かれて彼女を見に行った。そのとき初めて聖書の話を聞き、讃美歌を2つ覚えた。

「まだ覚えとる。」おじいちゃんは少し考えて、歌い始めました。

「主我を愛す~

 主は強ければ

 我弱くとも

 恐れはあらじ」

「もうひとつはのう、こういうもんだった。」そして、沖縄の方言で歌いはじめます。

「道迷て居しよ   でかよむどて

 わした天島ぬ  親ゆ拝ま

 罪とがゆくやむ 心てしど

 親からしでたる 宝でむぬ」

そのときから、家庭礼拝が終わると、祖父は言いました。「わしが十五歳の時、沖縄島に金髪の宣教師が来てのう......」その時から、家庭礼拝は、同じ2つの歌で終わりました。日本語標準語で「主我を愛す」、沖縄の方言で「道迷て居しよ」。

キャシーとおじいちゃん

宣教団体が変わったので、これから、今まで祈ってくれた教会皆に今の状態を説明して、ある程度サポートの調節は必要だから、新しい教会の指示を求めてデピュテーションも必要。沖縄に帰れるまでは、とにかく、あと1年ぐらいかなと、思いました。 高 2年に上がった時、キャシーと一緒のスタディ授業...