キャシーの救いのために戦っていたとき、両親は、新福音主義との問題と戦っていました。
高校生の私に理解できた説明はこういうことでした:新福音主義というものは一つの定義で十分に、正確に説明されるようなものではなく、水が器の形をとったり、温度によって質も変わるように、この「主義」も、態度・流れ・強調点の移り変わり・絶対的権威の溶解などをあらわします。(作者:2026年振り返ってみると、1970年代の「新」に見えたものでも、早く「旧」になりました!)
ある所では、世との分離が軽視され、他の所では、未信者と手を組んで、真理をゆるめた伝道法にちからを貸します。また別の人は、これと違って知的事柄を重視して、聖書の教えを科学・歴史・哲学・文化・心理学に合わせようとします。
声をあわせて~
いま描いている新福音主義者は、以前の私たちだったということを忘れないでください。この立場を指示する者は、意識的に神に背いているのではなく、心から神を愛しても、父母のように、この誤った道に入ってしまった者が多いと思います。これがマタイ24:24の意味しているものだと思います。
「…できれば選民(真のクリスチャン!)をもまどわそうとして…」。
アメリカに帰って最初の日曜礼拝は、創世記22:2からでした。
「神は仰せられた。『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。』」
沖縄の愛する兄弟姉妹。主に与えられた尊いものを献げるようにと言われいたみたいでした。次の年のことを考えると、どう計画を立てて行けばいいか、分からなくなってしまいました。
宣教団体が何かの形で立場を変えてくれて、総動員伝道などの新福音主義伝道に加わらないで教会の仕事を続けることが許されたら、このまま沖縄に帰られるかもしれない。これがいちばん好ましい。
一方、沖縄の教会の仕事を続けるために、自分の信念をおさえて、主流のやり方と合わせてくださいと、言われたら...別の宣教団体を探さなければならない、あと一年は沖縄に帰られないだろう。沖縄の教会の兄弟姉妹も、その一年間、何が起こるか、分からない。
バプテスト・ミド・ミッション?
沖縄にいたとき、新福音主義についてのアンケートがアメリカの教会から来たり、父母はクリスチャンにいっぱい手紙で、このことを聞いたりしていました。もちろん、極東福音運動宣教団体(省略F.E.G.C.)にも文通して、今度は、直接事務所に何回も行きました。
母が大学時代、彼女が出席していた教会の牧師が、その教会を出て、現在根本主義のバプテスト宣教団体の副長になっていることを聞き、その先生にも相談することにしました。
誤った道に立っている間、正しい道は見えない。心の平安を、道しるべとして、正しい歩みを求めるようにと勧められました。
心の平安。自分の気持ちとして、母は沖縄の霊的子供のもとに、すぐにでも飛んで行きたかったのです。愛する沖縄の家族のようなみんなに。しかし、祈れば祈るほど、心の平安がなくなるのです。「あなたの愛している子を...わたしにささげなさい。」