2026年7月20日月曜日

授業のない学び

この状態の中で、主は私に大きな恵みを与えてくれました。

小3のときのように、今回のファーロもバプリック・スクール(公立学校)だったので(それもユダヤ人生徒の多い学校)、神様のための証の機会がいっぱい与えられました。そして、ある日、体育の授業、妹はキャシーというユダヤ人に証することができました。その子と仲良くなって、私たちの家に数回あそびに来るうち、イエス様を信じると言ってくれました。

しかし、彼女の生活は全く変わりません。救われていない家族のために少しも重荷を感じません。話し方・考え方は前と同じなのです。キャシーが本当にイエス様を信じたのかどうか、わからなくなりました。口では、クリスチャンになったと言うのです。心配して母に聞きました。

これから、どの様に彼女と接触すべきか、どういう風に話すべきか、何を祈るべきか。クリスチャンであることは否定できないけれど、彼女が救われるように祈り続けた方がいいでしょう、と。また会話では、クリスチャンの喜び・恵み・力・平安のことを分かち合って。のことキャシーの心の中に聖霊が働いていてくれることを待つしかないと、母は言いました。

キャシーとスタディーホール

後期、私はキャシーと同じ時間にスタディホールになったのです。スタディホールは、決まった授業ではなく、自分の勉強をするための自由時間です。空の教室で宿題をしたり、図書館でレポート等のために様々な参考書を調べたり(当時はコンピュータのGoogle検索等はありませんでした)、本をよんだり、勉強したりしてもいい時間です。

もちろん、ランチとか友人とのお話のためにも使われていました。

その学期、私とキャシーは会って、聖書の話、神様の話、霊的話をしていました。キャシーは質問でいっぱい。母に勧められたように、私はキャシーと色々分かち合いながら、彼女の救いのためにも祈っていました。そして、毎週、キャシーの質問を家に持ち帰り、聖書からの答えを捜し、分からないものは母にきいたりしていました。

この様に、クリスチャン・スクールの聖書の授業がなくても、聖書の宿題というものはなくても、私は、高1~2年、聖書をいっぱい勉強させられました。

私のいちばん大きな霊的助けになったのも、このことだったと思います。自分で聖書を読みたいと思わなくても、真理を求めている未信者に聞かれる質問は、答えないでいられません。一方、キャシーと話しながら、自分が益々嫌になってきました。

クリスチャンの喜び・祝福を「分かち合っていた」私は自分自身それを感じていなかったからです。口に出す心理は本当であることを知っていましたけれど、自分は、それを適用していないということも知っていました。

面白いことに、私は心からキャシーにクリスチャンの喜びを知ってもらいたいと、願っていたのです。この私が!

授業のない学び

この状態の中で、主は私に大きな恵みを与えてくれました。 小3のときのように、今回のファーロもバプリック・スクール(公立学校)だったので(それもユダヤ人生徒の多い学校)、神様のための証の機会がいっぱい与えられました。そして、ある日、体育の授業、妹はキャシーというユダヤ人に証すること...