2026年7月23日木曜日

母と大学見学

学生祈り会?

その夏休み、家族で色々な大学を見に行きました。

最初に行ったのは、母が卒業した(約80年前)ホイートン大学。父が卒業したミラー・メモリアル神学校はアメリカ本土に来る数週間前に、カナダに寄ったとき、見てきたのです。卒業したときとあまり変わっていませんでした。でも、母の卒業した学校は、少し変わっていたというより、全く変わっていました。(1975年書かれた学校の様子です。)

生徒一人一人が自分の判断力に頼ることが考えられ、それを基として自分の道徳律をくみたて価値権を決めることが勧められ、優秀な知性と自由自己表現が奨励されていました。

母は昔、大切にされていた学生祈り会のことを聞いたところ、神様を礼拝するということは強制するものではない、意味がなくなるなると言われました。個人個人、寮で何かのために集まって祈りたいなら、そうして、出席したい人だけが出席するようになっていた。

新しく建てられた女子量:男子寮は、実は同じ建物で、中央のロビーを隔てていました。夏は、ロビーの両側のドアは閉められていましたけれど、冬は外が寒いので、友だちの部屋で勉強できるように、ドアは開かれていました。

キャンパス・ツアーガイドは、学校のいい所を述べているつもりでしたけれど、母は落胆させられる一方でした。

ホイートン大学見学が終わって、私たちが車に乗った時、母はゆっくり話しました。「自分の母校のことを、こう言うのは辛いけれど...今日の見学でわかってきたこと...私の娘がホイートン大学に行きたいと言うとしたら、残念だけど...私はそれを喜んで賛成することは、できません。」窓の外をながめ、それ以上何も言いませんでした。

あのMustang車でき大学見学をしてきたの

他の学校を回り、最後にボブジョーンズ大学に行きました。この学校に行く者は、自分のために考えることが、出来なくなる。学校で時代遅れの規則や人種差別が行われている。などなど。

でも、ミシガン州の一つの教会の多くの青年は、ボブジョーンス大学生でした。私たちが知っていた人達は、明るい、しっかりした、暖かいクリスチャンで、べつに「おかしい」と思わなかったので、この大学を見に行くことにしました。

ボブジョーンズについて聞いたことを彼らに尋ねてみたとき、その話を否定したり、学校を弁護したり、事実を説明しようとしたりしなかったのです。

「そう。私も同じようなことを聞いていた。」と笑いながら言うのです。「いつか、見に来たら。すぐ分かると思うから。」

キャンパスに着いての最初の印象:とてもきれい。ゴミが全然なかったのです。門の外の道路と門の中の道は対照的でした。次は:人の表情。笑顔。でも、見せかけの親切ではなくて、自然な雰囲気と、何となく感じました。こんな所、あるって、分からなかった。

 

大城女性、大学見学

その日はバスケットボールの試合がありました。食事の前に、それぞれのチームのファンが食堂の外にあつまり、自分のチームを応援していました。ある学生は、インデアンの服装・フェイスペイントをして、ぐるぐる回って踊りをしています(インデアンの名のチームのファン。)他の者は、大太鼓をドンドン叩きながら歩き回っています。「自己表現のない所」?とんでもない。と思わされました。

他人を無視する「自我」を表現しなくても、個性を十分に表すことができる。自分の意志を失くすのと自分の欲を制するのとは違う。ボブジョーンズの生徒は、狂ったように見えるほど変なことはしないけれど、ロボットのように無感覚な人間というイメージとは、全然違う。そういう先入観を捨てることにしました。

その週は、ボブジョーンズ大学で行われていた全国クリスチャン・スクール音楽大会でした。ジョイスは発生学とピアノ部門で参加しました。びっくりしたことに、両方とも優勝し(ピアノは2人選ばれます)、$50ずつの賞を手にしました。

沖縄の学校に、音楽分というものはなかったのです。姉妹と私は、他の学校活動をいっぱいしていました。スポーツ、学生新聞、年鑑、学生自治...友だちの中でピアノを練習しなければならなかったのは、私たち3人だけ。練習しなければならないと、いう思いだけでピアノが嫌いになっていました。

でも、ジョイスはとてもよくできたのです。音楽の賜物があるということは確かです。一歳半で歌い始めるようになり、ピアノを弾き始めたら、コードの観念を自分でつかみ、自由に転調したりすることができました。

 音楽学園に入る時、オーディションで教師はジョイスの実力にビックリさせられ、ジョイスだけは、すぐ入学したい、妹2人は他の人のように補欠人名簿に載せられ順番待ちになると、言ったそうです。両親は、それはできない、3人同じようにすると行って、私たちは同じ時にその学校に入りました。(私たちがジョイスのために早く入れられたのか、ジョイスが私たちのために待たされたのかは、分かりません。)

3人のなかでジョイスが一番できた

音楽がどんなに好きでも、友人はみんな他のことを楽しんでいるとしたら、苦痛に感じます。ジョイスも、高校生になったとき、大学に行くとき、音楽以外のものだったら勉強するけど、音楽は絶対いやと言って母を困らせたのです。

 3人がピアノの練習を苦しんでいるのを見て、母はこう言いました。「神様はあなたたちに音楽の能力を与えている。神の前での私の責任は、その才能を磨くこと。プロにならなくていい。主のために使うことができるところまで訓練してくれたら、マミーは嬉しい。その前に止めさせたら、あなたたちは、いつか、きっと、マミーをうらむ。」

 沖縄の学校で一番強かったのは、スポーツ部でした。しかし、ジョイスが高3になったとき、ファーロの時期でアメリカに返らなければならないことになっていたのです。卒業する年に新しい学校に行くことをジョイスはあまり好ましく思えませんでした。

しかし、この学校では、音楽部がとても強くて、スポーツ部の方が弱かったのです。ジョイスは高校のトップのコーラスに入り、ミシガン州のコンテストにトップレーティングをとって、ミシガン州高校女声コーラスの一員と選ばれ、ミシガン州の高校トップ40人ピアニスト・コンテストにも招待され、インターロッケン音楽キャンプにも無料で行くことができました。この年まで、ジョイスがどれ程できるか、分からなかったのです。

アメリカのクリスチャン大学のなかで、いちばん厳しくて、いやに聞こえた所は、ボブジョーンズ大学でした。でも、その音楽コンテストの一週間で私たちの考えは、変わりました。

家に帰ったとき、ジョイスは家族に発表しました。あきからは、ボブジョーンズ大学に入学する、それに、専門は音楽教育にしたいと、言いました。ピアノ練習をしなければならないと厳しく言い続けていた母...ジョイスの悪い態度に心配していたに違いない母...は、その日、とても嬉しくなったのではないかと、思います。

ジョイス、ベルクリーでピアノ練習

母と大学見学

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