沖縄からの一つの喜ばしい知らせは長田おじいちゃんのことでした。亡くなったことは、悲しくても、神様がこの死をも用いて祝福を与えてくれたことを感謝せずにはいられませんでした。
クリスチャンの内に宿る聖霊のちからを、おじいちゃんを通して学ぶことができました。沖縄の祖先崇拝に「ユタ」という占い師のような者がいます。様々な困難・悲劇があるとき、このユタが問題の原因(何が先祖の祟りをおこしたか)、解決法を指示します。詐欺師別として、悪霊のちからをかりて先のことを予告したりします。
母の従妹は、この様な、特別なちからがあり、ユタになることになっていました。長田おじいちゃんに会うたび、おばさんの内にいた悪霊とおじいちゃんの内にいた聖霊はぶつかり会っていました。おばさんが就任式で正式にユタとして認められる日がおじいちゃんの葬儀だったのです。おばさんは、葬式の方に出席しました。(おばさんの目はひどい憎しみと怒りに覆われていたため、彼女が写っている写真は全部捨てられたそうです。)
キクおばさん
おばさんは、他の人に対してちからがあっても、おじいちゃんに対しては、何もすることが出来なかった、死ぬときでさえおじいちゃんの神様に勝つことが出来なかったと言っていました。その日おばさんは「負けた」と認め、1週間以内イエス様を信じたのです。それから新しいちからを知ることになり、あまりも変わったので、主から離れていた娘3人が教会に帰って来たのです。一人は7歳のとき、この長田おじいちゃんに導かれた娘でした。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊な実を結びます。 ヨハネ12:24
長田おじいちゃんが導いた、いちばん下の瑠美子さんは、里子、私、愛子より数年年上です。私たちと一緒に住むことになりました。まえにも色々家族を手伝ってくれたことがあったので、時々は姉になってくればいいのにと密かに思うことがあったのを覚えています。
瑠美子ねえちゃんと海岸でピクニック
自分は日本語はうまく話せなかったのですが、この瑠美子さんは聖書が好きだったから、自分の心の悩みを聖書の教えを通して「話す」ことが出来ました。
ある日、...彼女の落胆・絶望と大変な暗闇を聞くと、私は「話さない」では居られなくて、聖書をある箇所に開いて、側に持って行きました。
「私、日本語上手に言えないけど、これ読んで」と言ってみました。「私を助けてくれる。」自分の日本語、通じてるかなと、思いながら続けました。「自分自身を見ると落胆する。当たり前。自分は弱い、罪深い、とても悪いだから。神様を見ると、助かる。」これを言うのだけが精一杯でした。
開かれていた詩篇42編を読みながら、彼女は涙を流していいました。
「これ、ほんとうにいいね...」と。
彼女の顔を見て、言ってみました。「瑠美子ねえちゃん、神学校に行くこと、考えたことある?」こんなに聖書を愛しているんだもん。
一年間、瑠美子さんは、目の前でどんどん変わりました。絶望と「何とか生きている」の歩みから自発的に奉仕するようになり、気が付くと、神学校に行くと献身してくれました!
いつかルミ子ちゃんが神学校に行くことがおじいちゃんの夢だったのです。天国からおじいちゃんは見てるかなと、時々思います。生きてたら、すごく嬉しかったと思う。
ルミ子ちゃんが本当に神学校にいくことになった!