このブログにだって載せたいと、思ったのが、そっちの方だったから。おじいちゃんが高校を卒業する直前に船に乗ってハワイに逃げて行ったこと(卒業すると絶対軍隊にひっぱられると知っていたから)、その後カナダに行って鉄道・ホテル・農場で色々仕事したあと、沖縄教師の嫁を貰ってカナダに戻り、妻と息子3人で小さな会社をバンクーバで始めたことは、書きたくなかったの。そんなの、つまんないと、思った。第Ⅱ次世界戦争で、全部失うことになって、家族はサトウダイコン農場に移動され、長い話を短くして、おじいちゃんの長男(だから、父昇)は、政府援助により教師訓練が与えられ、資格を取り、高校教師となった。そこの学校の教師1人が生まれ変わった、素晴らしい証をもつクリスチャンで、彼女のため、父は伝道集会に行くことになり、救われ・宣教師になったの。
宣教師になるきっかけというのは、父が4,5年生の思い出だった。その時は世界大恐慌であり、おじいちゃんは、家族をカナダで経済的に支えることができるまで2年間沖縄の裕福な家族に預けてあった。救いの決心をした晩、父はカナダに戻っていたが、その時の沖縄の思い出が、よみがえってきて、みんなにこのことを伝えなければならない。誰かが、私が、行かなければならないと、すぐ分かったみたい。宣教地で会ったのが、金城君子。彼女はハワイの田舎少女で旅のことは何も知らなかったけれど、潜水艦追跡船・FBI・1人のタクシー運転手により彼女を守り導き(それは別の話)、ネガティブに見える病も、人間的禁じ事項も、神様の導きのために用いてくれた。2人は結婚して里子・智子・と愛子と、3人娘が与えられた。1956年に宣教地に送り出された大城昇と金城君子は、まだ独身だった。1961年に帰国したとき、結婚相手と子供3人いた!
説明するの、忘れていた。パスポートの名前の読みは「オオグスク」になっている。沖縄人の発音。カナダに行って、日本人同士でも沖縄の人は見下されていると知ったおじいちゃんは、それから自分のことを「オオシロ」と呼んだの。
