2人沖縄に行くのでなく、だれか一人は東北無僕教会の援助に残りませんかという声が来た。一年間だけでいい、現在ファーロ中の宣教師が米国から帰って来るまででいいということだった。ジャニスは、日本語学校前から、沖縄でミニストリーを始めていた。沖縄宣教に召しを受けているだけでなく、既に1年も、それから離されていたようなだった。
「誰か一人?」と、ジャニスは、はっきり言った。「私は沖縄に戻らなければならない。だれかが残るんだったら、ジューン、それはあなたになるのよ。」自分としては、神様の愛と救いの命のメッセージを伝えたい、それが沖縄であれ、東北であれ、…そのときは、数年前より結構薄くなっていたのに気がついた。
ということで、ジャニスは沖縄に戻り、私は神学校卒業生(丹野容子姉)と一緒に毎週電金曜車通勤で東北の教会に行って、日曜の夕方帰って来ていました。大変でしたけれど、霊的によかったし、丹野姉と絆を結ぶことができたと思います。
また順序メチャクチャになっちゃいます:その丹野姉と一緒に、団地5階のアパートに住んでいました。そこに来たのが、神学校の教師にお願いされた、あの励ましのカードをくれた伊芸恵美子先生だったのです!そして・・・ちょっとしたら、宣教師先生から呼ばれました。近いうちに短期宣教師が2人来る、ジューンの所に住むことになっていた(伊芸先生は丹野姉妹と部屋は一緒、大部屋にマットレス2人分敷いたら全然間に合う)。
妹がいなくなったら寂しくなると思ったけど、かえって急に交わりがにぎやかになる!皆が来るまえに、アパートを準備しなければならない。
欣也は、覚えていないと言うけれど、私は、ジャニスを沖縄に送ったあと、東京に戻ってきて、沖縄の暖か気候・寒い東京の冬の気温差が急過ぎたのか、熱が出てしまった。おまけに風呂が故障した。もうろうとした気力の中、教会に連絡したと思う。スタッフの斎藤欣也兄が来て直してくれた。
このニコニコしている若い2人、だれ?
あのアパートには、日本語で話す2人(丹野姉・伊芸先生)、英語で喋る2人(短期宣教師)、と私1人で住んでいました。日本対アメリカの問題にならないように気を付けなさいと、宣教師に注意されたのを覚えていますけれど、その一年だったの:神様の不思議な導きで、欣也との結婚の結婚という導きの祝福にあずかることになったの。
そのことを色々考えたり、悩んだり、祈り合ってくれたりしたのは、あの「問題になりうる」数人だったのね。旧約聖書では自分の力を誇って建てようとした塔だったけれど40年前は神様の力を祈りで一つになっていた数名の人だったのね。だから結果が違ったと思う。
母はバイブル・カンファレンスの時まで、斎藤欣也兄のことは、知らされていた。夕食を欣也と私、父と母で外食しに行った。
「主の導きは不思議ですね。」と母は欣也兄に言った。自分も経験していたからであった。
バイブル・カンファレンス特別賛美
そして、その忠実な導き:今までのこと、これからのことを、その後、特別賛美として、大城家は特別賛美をした。思った。自分は同じ忠実な神様、を賛美するけれど、「大城智子」じゃなくて、「斎藤智子」として賛美を献げることになるのね。
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沖縄生まれ、救い、クリスチャンスクール、献身、書き始める、聖句暗記、病気、「沼」、キャッシー、ボブジョーンズ、チョークアート、結婚。
さてと、続きはどう扱うことにしようかな。
郡山、出産、英語、健康、震災、教会、公園、動物、アート、葬儀、海外、引越、等々・・・それに、今すぐこれをすべきなのか、他のことに時間を割くべきなのか分かるように祈ってちょうだい。(私、書くのが好きだから疲れても、つい夢中になっちゃうの。)