(下の写真:ジョイスと幼稚園のチェリー先生)
当時早期教育のことはあまり知られていなかったけれど、姉の幼稚園先生Cherry先生は、ジョイスに本を読むことを勧めて、姉は1年を1学期で済ませ、後期は2年生に進級させられた。ということで、姉は自分より1歳年上だが、学年は2つ上。ということで、自分は3年生で、姉は5年生だった。
バカじゃない
アメリカ本土のワシントン小学校に入学したとき、一学年下のクラスに入れられました。海外の学校から来る子供は、皆そうすることになっていたのです。できる子は、元の学年に戻ることになっていました。
それにお喋り屋さんだったので、初日から先生はすぐ分かったみたいです。この子を長くこの4年生クラスに置いたら、退屈で勉強する気をなくすだけ。2日目からジョイスはもとの学年に上がっていました。ジャニスの先生は、数日間様子を見て、次の学年に上げました。私は一週間しても同じクラスだったので、心配し始めました。
「私、いちばんバカなのよね。」と母に言いました。「ジョイスとジャニスは、自分の学年に戻ったけど、私はダメだったの。」仕方ない、泣きたい気持ちでした。
母は早速学校に行って校長先生に相談しました。
「ジューンだけができないことはありません。」と校長が言いました。「おとなしくて、忘れられていただけです。本当にすみません。」翌日、自分も元の学年になっていました。
よかった。あたまがいちばん悪いということではなかったんだ。
私がクラスに入る前、他の学年全員は、cursive(続け字)の書き方を習ったので、私はそれを一人家で勉強しなきゃならないと先生にいわれました。バカじゃない。私にはできる、と思って、その晩、いっしょうけんめい勉強しました。
次の日、続き時で書いたオリジナルの話2つを先生に提出しました。これから、他の生徒と同じようにできます、と。母にも先生にもよく頑張ったと、ほめられました。
後期にミシガン州の「若者著者コンテスト」があって、一人一人本をつくることになっています。私はネコの話を書き、イラストも自分で書きました。ジョイスは小人の話、ジャニスは赤ちゃんの話。3人とも自分の学年から選ばれ、私は学校を代表することになりました。
市の代表者は、近くの体育館で集まり、ミシガン州大学にチャーターバスで行きました。そこで、小さな部屋で他の学生10人と教師の前で自分の作品を読みました。ミシガン州代表に選ばれたのは、動物物語集を書いた中学2年生。私は学校を代表することができただけで嬉しく思いました。
でも、その年の一番嬉しいできごとは、このコンテストではなく、小学校の休み時間で起こったことです。私は、友だちを数人集めて、神様の話をいっぱい聞かせていました。沖縄のクリスチャン・スクールとは違って、ここには、救われていない子供がいっぱいいるだろうと思ったからです。
神の愛を話しながら、他の子供を怒ったりしていた自分のことを思い出すと笑うしかありません。でも、人間は、ただの器。聖霊ご自身が働いて、人の心に真理を生かせるのですね。というのは、ある休み時間、遊び始めたら、Bonnieという女の子が私の所に来て涙を押さえながら言いました。「ねえ、ジューン。私、イエス様信じたい。」
「本当に?心からそう思うの?」実はきく必要はありませんでした。Bonnieの顔を見るだけで本気だということが分かったのに、あまりもはっきりしていたので、私がびっくりしていただけです。
「心から。」2人、その運動場でしゃがみ、一緒に祈りました。私の最初の魂をイエス様の救いに導くことができたのです。ハレルヤ。その日家に帰ったら嬉しくて、そのことを最初に母に話しました。
次の日曜日の礼拝の終わりの招きのとき、前に出ました。イエス様のために、もっと熱心に救霊したいと。子供の決心と軽んじてはいけません。神は子供一人一人の心の願いを聞き、単純な信仰でささげられた祈りを、はっきりしたちからで答えてくれるからです。
その日曜日もう一つ覚えていることは、献金のとき、私の心は、Bonnieのことで感謝でいっぱいになっていたので、カゴがまわってきたとき、自分の持っていたたった一枚の1ドル札を入れてしまいました。神様、ありがとう。
父は、少しづつ元気を取り戻しました。1年半のファーロが終わって、沖縄に帰るときまでは、自分でスライドを見せたり、説教したり、前のように冗談を言ったりしていました。