2026年6月26日金曜日

父の神経衰弱

そのとき、沖縄の伝道というのは、4つの教会が与えられていました。宇堅、首里、石川、石垣。月の1週目は首里の教会で説教を、1週・3週目の午後は石川と宇堅の村の教会に行っていました。父は4週目に離島の八重山にある石垣の教会に回っていました。このように忙しくしていました。

父はカナダの気候に慣れていたので、沖縄の湿度でこの様にうごきまわるのに大変疲れました。(宣教師は、多くの場合、別の環境に慣れているので、国の人より他の必要があります。自分で変わろうと思っても、変わらないものがあります。)このペースで続けたら体をこわしてしまうと母は心配していました。

でも、父は、スポーツマンのファイトをしっかり握って、少しも休もうとしませんでした。必要以上、どんどん働く積極的な人だったのです。毎年、夏負けして痩せる一方でした。4つの教会の責任をとって、精神的ストレスにも、相当やられていました。何もかも自分でする父は、他の宣教師にこう言われたそうです:

「神様にも仕事を少し残したらどうですか」と。

どれほどつかれているか、本人も分からなかったみたいです。母にそう見えても、父は「大丈夫、大丈夫」と、言うのです。

ある日、父が運転しているとき、道路の中央の分離帯が2つに分かれるように見えたので、車を道の側に止めました。これは、やはりおかしい。疲れているんだ。そう思って、医者に診てもらうことにしました。

病院では言われました。「すぐ休暇をとって、アメリカに帰りなさい。これ以上無理したら、一生健康は元に戻りませんよ。」

荷造りと旅行の準備は母がほとんど全部一人でし、一カ月以内で、アメリカに帰りました。学年の数カ月は、まだ残っていたのです。

ハワイでゆっくりして、私たち3人は、そこで最後の学期の勉強を済ませることになりました。まだ小さかったので、父が体をこわしたため、すぐ休暇をとったということは、分かりません。このように急に学校を変えても、簡単に調節させてくれた特別な守り・恵みを不思議に思い感謝するしかありません。

父の神経衰弱

そのとき、沖縄の伝道というのは、 4つの教会が与えられていました。宇堅、首里、石川、石垣。月の1週目は首里の教会で説教を、1週・3週目の午後は石川と宇堅の村の教会に行っていました。父は4週目に離島の八重山にある石垣の教会に回っていました。このように忙しくしていました。 父はカナダ...