光の子幼稚園
あまりよく覚えていないけれど、当蔵の家に住んでいたときに近くにあった教会付属の「光の子幼稚園」に行った。その頃から姉妹と自分の性格が、はっきりと表れていたと、聞いている。
私は一番小さい火
* 負けず嫌いの妹ジャニス愛子は、体が小さい、どうせかけっこはビリになるから運動会は嫌いと行きたがらなかったみたい。
おゆうぎは上手だったの。ほらね!
* 競争心の強い自分は、よーいドンの合図で、レーンを回るのではなく、ゴールテープを目掛けて運動場の真ん中をまっすぐ走ったそうだ。
外国語の挨拶も必要だった
* あの幼稚園に、青い目のお友達もいた。もちろん、特別プログラム等に両親が来た。幼稚園の先生たちは、姉のジョイス里子に、クリスマス・プログラムの英語挨拶を姉にお願いした。何を考えていたのか、当時は英語を一言もしゃべらなかったのに、それを引き受けてしまった。(教会の難しいことは父母はで英語で話していたが、私たちと喋るときは、いつも日本語だった。)
それから数週間、母と猛特訓:「サンキュー フォー カミン トウア クリスマス プログラム。ダ ロー ブレスユ。」(私たちのクリスマス・プログラムに来てありがとう。主に祝福されるように。)
なんとかなった。
写真撮影は私たちのキヨ先生のお母さんと、沖縄本島天願宅で!
私たちと園長先生たちは、思いがけないかたちで祝福されることになった:シラベ園長先生は数十年後、沖縄離島の石垣島の教会に派遣された。そこの教会員一人が、後に父が再婚した神学校卒業生島尻清子先生だった。