沖縄での最初の家は改造された浴場でした。半分が私たちの住まいとなり、半分が集会堂になっていました。いま考えてみると、とても狭い所。よく5人で住めたなと、思います。夜の集会が始まる前、母は私たち3人を寝かせました。すぐ隣の部屋から讃美歌が聞こえてよく眠れたな。眠れなかったことは、一度もありませんでした。神様、ありがとう。
当蔵の木造の家 (父の作った十字架が見える?)
木造の家は冷房なしでした。扇風機が熱風を吹きまわすだけだったと思う。服も畳もカーテンも、布団もいつもべとべとしているように感じました。そして、水たまりがあるところは、やはり蚊がいる。自分は皮膚が弱くて蚊に刺されたら、晴れたり、菌が入ったり、生んだりして、傷がむちに打たれたように見えたみたい。蚊は大嫌い。
蚊を食べてくれるいもりちゃん、大好き。いや、ホント。
父母は30代だったけれど、近所の人たちにとって、赤ちゃんに見えたみたい。真の神様の話をしようとしても、聞こうとしなかったので、母はハワイにいる、退職したおじさんに便りを送ったそう。年配の人たちの伝道には、どうしても助けが必要です、来てくれませんかと。長田のおじいちゃんは(母にとって、「おじさん」だけど)
すぐ来てくれた。
長田のおじいちゃんと自分
あの小さい家におじいちゃんの部屋が出来て、部屋のドアの下の方に節穴があった。はいはいしていた自分は、いけないことをしたために親に叱られると、あの戸に逃げ節穴に指を突っ込んで「おじい、おじい」とあいずしたそうです。
おじいちゃんは、泣いている自分をいれて、可愛がってくれて、そこで眠ってしまった自分は、目がさめたとき、前のことはすっかり忘れていた。これはしつけにならないと母をなやませたときいています。でも、かわいそうではないかとおじいちゃんは、私をかばってくれました。