夏に、沖縄に帰ったとき、最初の日曜に、家族はLiving For Jesus(イエスのために我生きん)を特別賛美として証しました。
①イエスのために我生きん・御旨の業励みて・仕えまつることこそ恵みうくる道なり
②我の罪を十字架で・我に変わり負い給う・かかる愛に答えて・全て献げ従わん
③いかになれど主のため・御名により業をなし・苦しみをも負うべき・十字架として忍ばん
(おりかえし) 救い主にこの身ささげん・あがないのため死に給いし
主こそ我が君我が王なり・いまよりひたすら主のため生きん
歌いながら、教会の愛する兄弟姉妹の顔を見て、心は感謝でいっぱい、目は涙で溢れそうになりました。家族一人一人を守り、導いてくれたことをありがとう、ありがとうと、何度も祈りました。
高3の時に与えられた約束を思い出しました。
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:15
父に与えられたみことばも:
「あなたの将来には望みがある。ーー主の御告げ。--あなたの子らは自分のくに帰って来る。」(エレミヤ31:7)
沖縄に帰って最初の1カ月は、結構忙しかったです。アメリカから届く小包を整理し(これは、誰が送ってくれたか、覚えていますか?そう、しばらく彼女の家に住んでいた、Shirley Lampさんからでした。)ジャニスと私は急いで荷物を整理し、東京に行って日本語学校の勉強を9月から始めることになっていました。
具志川バプテスト教会の夏季学校で教え、数日間は台風が沖縄に来ました。それと同時にもう一つ大きな「嵐」:教会で大きな問題が発生し、父と母はとても必要としていた休みをキャンセルして信者の家をぐるぐる訪問したり、電話をかけたりしていました。
私たちもいつかは、こういうことをしているのねと、考えさせられました。やはり宣教師は、神様に選ばれた器であっても、ただの人間、教会員ひとりひとりの祈りと励ましの言葉が必要と、はっきり見えた。先生が一方的に群れを導くだけではない、羊一匹一匹が、聖霊の助けが、人間の羊飼いに与えられるように、ずっと祈って支えてあげなけれがならない。
自分が日本語学校から帰って来るときまで、自分のために祈って支えてくれる教会員が育っているかなと、思うようになった。
高3の証は覚えていた。今度帰って来た時は通訳者を通してでなく、自分で証したいと言った。私は小3の時、一晩で英語の続き字を覚えた。バカじゃないと頑張った。今度は、宣教師に日本語を教えてくれる所があるから大丈夫。神様、助けて下さいね、と祈った。
ボブジョーンズを卒業した年、宣教団体に貰った証明書は、前の年に貰ったものと違うと気が付いた。今度は、自分の名前の下に「宣教師」と表示してあったし、トップの先生のサインがあった。その前の年は、それらがなかった。「入団約束カード」だったの?婚約指輪みたい?なんだか嬉しい。
今度は本当の宣教師になっているから、宣教師の語学学校で勉強してもいいのね!
父母はカナダ・ハワイで日本語学校で勉強したから、宣教地に出て来る前からキレイな日本語を使っていたけれど、ジョイス・ジャニス・と私は、光の子幼稚園以外、学校は英語だったので、漢字は、小1-2年生レベル以上のものは、ほとんど読めませんでした。大学にいたとき、沖縄のおじさんに証の手紙を出すため自分の新改訳を辞書として使っていたのを覚えています。
前にも沖縄にいたとき、心の気持ちが日本語で伝えることが出来なくて、欲求不満を感じたのを覚えています。東京に言って、一生懸命勉強し、日本語をもっと自由につかえるようになりたいと決心しました。
妹と一緒にされ、周りの人は、勿論同じだと思われました。ジャニスは1年先に沖縄に送られ、生活・言葉・習慣になれて、私は1カ月きたばかりでした。日本語学校では、その学期卒業する生徒2人と一緒にされました。1年間も日本語に聞きなれていたジャニスには問題ありません。でも、私は...とても大変でした。
ジャニスは、家に帰って、宿題を15-30分でパッパッパッと済ませていました。私は、質問に答えるところか、質問の意味さえ理解するのに苦労しました。ジャニスは他のことをちょこちょこやって、部屋に帰って来ると、私はまだ宿題をしているのです。
「ジューン、一体何してるの。完全主義者だからだめなのよ。あんまり細かいところまで考えるから。きれいな文を作ろうとしないで、正しい返事を出したらいいじゃない。」と言われてしまいました。
完璧を求めていたというより、正しい言葉も頭に浮かばなかったのです。そういう時、おぼえているのは、励ましになった一枚のみことばカード。東京に出かける前、教会スタッフの伊芸恵美子先生から頂きました。日本語学びを祈りますということで、こんなに見るようになるとは思ってもみませんでした。神様、伊芸先生の励まし、ありがとう。
それで、JMLI宣教師は普通2年コースですが、ジャニスと私は1年で終了することができました。
日本語学校が終ると、すぐ東北の子供キャンプの講師をお願いされました。ジャニスは小学科を教えて、私が中学科を取ることになりました。やはり、自分が教えたのは、ギデオンの話。(教え方は、色々あります。毎回同じレッスンを教えているわけじゃないです!実をいうと、自分が一番好きなのは、自分が大学生の時に旧約聖書の授業で聞かされた説明です。いつか、それを分かちあいたいと思うのですが、子供の教え方ではないので使うことはないと思います。)
ギデオンの話は、めぐみバプテスト教会の「ロバの子会」でも1カ月教えたと、ノートに書いてありますが、全然覚えていません。覚えているのは2つ。1)三田紘一先生にビデオをお願いされたとき、最初は、怖くて「できない」と断っていました。だけど、ジャニスがこう感じました:神様の仕事をするために勉強をした。だったら、できないと、言うのは、おかしいんじゃない、と言ってくれました。2)チョークアート。雄弁家でなくても、言葉でなく絵でコミュニケートする。デピュテーションのために、英語で少なくても6回して、今度は日本語で6回したから。