2025年5月29日木曜日

やっぱり人間は自己中

やっぱり人間は自己中心なのね。だって、いま見たんだけど、面白いと思って、自分が1番さきに書いたのが、生まれたあとの話だから。

このブログにだって載せたいと、思ったのが、そっちの方だったから。おじいちゃんが高校を卒業する直前に船に乗ってハワイに逃げて行ったこと(卒業すると絶対軍隊にひっぱられると知っていたから)、その後カナダに行って鉄道・ホテル・農場で色々仕事したあと、沖縄教師の嫁を貰ってカナダに戻り、妻と息子3人で小さな会社をバンクーバで始めたことは、書きたくなかったの。そんなの、つまんないと、思った。第Ⅱ次世界戦争で、全部失うことになって、家族はサトウダイコン農場に移動され、長い話を短くして、おじいちゃんの長男(だから、父昇)は、政府援助により教師訓練が与えられ、資格を取り、高校教師となった。そこの学校の教師1人が生まれ変わった、素晴らしい証をもつクリスチャンで、彼女のため、父は伝道集会に行くことになり、救われ・宣教師になったの。

宣教師になるきっかけというのは、父が4,5年生の思い出だった。その時は世界大恐慌であり、おじいちゃんは、家族をカナダで経済的に支えることができるまで2年間沖縄の裕福な家族に預けてあった。救いの決心をした晩、父はカナダに戻っていたが、その時の沖縄の思い出が、よみがえってきて、みんなにこのことを伝えなければならない。誰かが、私が、行かなければならないと、すぐ分かったみたい。

宣教地で会ったのが、金城君子。彼女はハワイの田舎少女で旅のことは何も知らなかったけれど、潜水艦追跡船・FBI・1人のタクシー運転手により彼女を守り導き(それは別の話)、ネガティブに見える病も、人間的禁じ事項も、神様の導きのために用いてくれた。2人は結婚して里子・智子・と愛子と、3人娘が与えられた。1956年に宣教地に送り出された大城昇と金城君子は、まだ独身だった。1961年に帰国したとき、結婚相手と子供3人いた!

説明するの、忘れていた。パスポートの名前の読みは「オオグスク」になっている。沖縄人の発音。カナダに行って、日本人同士でも沖縄の人は見下されていると知ったおじいちゃんは、それから自分のことを「オオシロ」と呼んだの。

2025年5月28日水曜日

この海で溺れてもかまわない

5月5日のCan’tTouchBottomという英語のブログを、乱暴に訳したものです:

5月4日の礼拝特別賛美は、新婚者キナ・アヤノによるピアノの「ああおどろくべきイエスの愛」だった。日本語歌詞は、「測り知れない」と、いう表現をつかう。




ほとんどのクリスチャンは、父なる神が子なる神を愛していているか信じているか聞かれると、勿論と、答えるけれど、同じクリスチャンに、イエス様が全く同じ愛で救われた人間をーーつまり、アナタをーー愛しているか聞かれると、冗談でしょうと、答える。


ちょっと待った。イエス様自身の言葉でしょう?「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。」

 

忘れがちなのね:人間の「愛」は、愛される者の価値によって、それに感じる愛が強くなったり弱くなったりするのね。だけど、真の愛は愛されるものでなく、愛するものによるのである。イエス様が愛せない存在になるのを、想像できる??愛を少しでもケチったりすることを、想像できる?やっぱり、クリスチャン一人一人を凄い愛で愛するよね。



神様がどれほど自分を愛しているか、この嬉しい事実を信じるのに一生かかると、メッセージに聞いた。エペソ3:18-19に、この愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか、または、人知をはるかに越える、ずっと頭のうえを超えているのね。


神様の愛の海には溺れてもいいかな。

教会 4 ルツの決心

 


お母さん大好きな子たちがあの部屋にいた。今日はルツの話、お母さんが大好きだったのねと、思っていたところ、びっくり。モアブから出たのは、ナオミを愛していたからじゃなかった?


ルツもオルパもお母さんを愛していたけれど、ルツはナオミの神様を信じていたため、モアブから出る決心をした。この話でよく強調されるのは、ルツのお母さんにたいしての愛で、ルツの神様にたいしての信仰がみおとされがちなのね。だから未信者も「うつくしい物語」と、言うの。だけど、聖書をそのまま読むとルツの告白はスゴクはっきりしている:「あなたの神はわたしの神。」
ゲームの時間

愛する人についていく?それとも信じている神様にしたがう?こんな大切なことを子供たちに教えられるため、真美先生に聖霊のちからが続けて与られるよう神様、お願いします。

教会 3 こけし人形と潮汐表

バプテスマを受ける人が準備をする時、知り合い・親戚を誘ったり、服をそろえたり、質問に答えられるように、聖書をきちんと読んだり、心の準備のために祈っておいたりするけれど、

潮汐表を調べる人は、いない。。。よ、ね?



少なくとも、ジュンちゃんは、自分のバプテスマ式のために、そんなことをしなかったと思う。いままで導いてくれた神様のことを考えて、感謝でいっぱいになっていたに違いない。9日(日曜)のバプテスマ式が終わった後、



ジュンちゃんは、このことを証してくれた。その後、教会員と受け入れられ、皆から、特別なこけし人形が渡された。体は巻物の色紙だった。これからは埼玉に行くことになっているので、「沖縄の教会から離れても、主から目を離さないように頑張ってください」などと、励ましいっぱいこもった贈り物でバプテスマ式が終わった。

*   *   *

あ、あの潮汐表?自分と姉妹のバプテスマ式は、沖縄の宇堅ビーチでされて、そのときは、ちょうど引き潮だったので、スゴク遠くまで歩かないと、水は腰まで来なかった。だけど、そこでバプテスマを授けられても、岸に立っている人の顔は見えないので、全然証にならないので、浅いところで、ひざまづいてバプテスマを受けることにした。


あの時のバプテスマ式の写真は、一枚もない。しかし、同じ宇堅ビーチでされた、別な日のバプテスマ式の写真が見つかった。この写真では、私たちは2,3,4歳かな。ちなみに、一番左にたっているのが、100歳で亡くなった川端トミ姉。母に抱っこされているのは、妹。私は永田おじいちゃんの前に立っていて、写真の左、母の前に立っているのが、姉の里子。 

教会 2 こころから賛美

 久しぶりに日本語でブログさせていただきます。日本語の聖歌についてなので。


今朝、「ああ十字架、ああ十字架」と、口荒みながら目覚めました。この歌、どこから来たのかな(なんで自分、考えていたのかな)と、思っていました。

カルバリやまの十字架につきて・・・イエスはとうときちしおをながし」と歌詞が次々とうかんできました。なんで?「すくいのみちをひらきたまえり・・・カルバリの十字架わがためなり。」

あ!わかった!郡山BCの手話コーラスだったのです。ギザギザ山道の「カルバリ」・・・聾唖者信者による十字架の縦・横についての説明・・・少しづつあの練習の日々を思い出しました。

自分のように、独唱は歌えないけれど、なんとか賛美したい、


自分を愛しあがなってくれて、心を喜びで満たしてくれた神様をほめたたえたいと思う者たちが集まり、声でなく、手で特別賛美した。天から見ている神様は受け取ってくれたにちがいない。

ホラ、自分が手話を間違っても神様は「いい子」と、喜んでくれるの。

教会 1 にちようがっこう

 「そう、しゅつ、れび、みん、しんめいき・・・」♪

あの当蔵の日曜学校で覚えたと思う。いまでも、旧約聖書歴代誌などは、この「聖書名目尽くし」を口ずさみながら開く。英語の聖書を読んでいても、やはり「ソウ、シュツ、レビ、ミン、シンメイキ」。(この歌、英語で覚えていない!)こんなに便利な歌、他にはないと思う。

今日は、姉と一緒に具志川BCの教会学校に行った。真美先生は視覚教材をフルに使って子供の興味を引き、すごく面白く教えていた。イエス様が神の子であることを証明したこと、その神様の言うことを聞かなければならないこと。

そして、ただ聞く・分かるだけでは不十分、従うことが大事であると、レッスンは、終わった。子供でも理解できるシンプルな話し方だったけれど、大切な聖書の真理でもあった。嬉しかった。

子どもの正しい霊的訓練、軽視しちゃいけないものなのね。だって、子供の時に教わることこそ、一生ずっとついてくるものだから。

いまだって、「ホセア、ヨエ、アモ、オバ、ヨナ、ミ・・・」♪と、小預言書を開くの。 

ジャーナル 9 医院からの帰り

 

そう、昨日は、定期的に医院に行ってきて、いつもの薬をもらってきたの。帰りは、また遠回りして、あの橋で渡ることにした。水鳥たち、いるかな。


あ、白鷺、いた!そしてバン(白い額版)とオオバン(赤い額版)が近くで泳いでいたし、今回は鴨もいた。そして、初めて見る模様の、スズメ大のヒナ(アイの子?)がちょっと離れたところをくるくる回っていた。車ではないけれど、このようなヒナをハイブリッドというらしい。ハイブリッドちゃん、頑張ってね。

家の方に向くと、自由に飛び回ったあと、雀鷹(ハト大)が電信柱の上にとまったのに気がついた。やっぱり大好きな沖縄は変わっていないと、思った。国際結婚がいっぱいあるし(だから愛の子もいっぱいいる)、ほとんどの人は小さくても、「ゴーイング・マイ・ウエイ」(我が道を行く)と、いまでも力強く生きている。沖縄に戻れるように斎藤家を導いてくれてありがとうと、神様に感謝するしかなかった。



みんなが神様に心を向けるように、用いられたいなと、思いながら家に帰ることにした。あまり暗くなる前に、これから寒くなりそう。

ジャーナル 8 行けなくても大丈夫

 


毎週、姉は教会に送ってくれるけれど、2月23日の日曜の朝、体調不良のため自分はまた休むことになると、分かった。「大丈夫。神様は知っているからね。」と、ジョイスは、励ましてくれた。



そして、オンライン参加できるように、礼拝ビデオを送ってくれて、私は日本語・英語・とポルトガル語の男性コーラス特別賛美を聞くことができた。



子供たちに負けないように2月の暗唱成句を一緒にしたり、西野先生のメッセージを聞いたり、集会が終わったら、もと教会員の仲間サアヤ姉が結婚に導かれたという、報告を聞いた。

教会に行っても、家にいても、みんなと一緒に神様に心を向けて恵みの働きを期待することが大事なのね。(この猫の写真を載せた訳?近くの医院の前にいただけ・・・)

ジャーナル 7 オレンジ?レモン?

 このレモン、オレンジに見えない?砂糖いっぱいで美味しいジュースが作れるんだから、どっちでもいいじゃない。




与えられたことで喜びいっぱいになれるんだから、感謝じゃない。アメリカに住んでいたジュンコさんは(妹の友達)、ローン会社の仕事をやめて、お父さんの畑を継ぐために沖縄に帰って来た。



捨て猫の里親を探してあげたり、私達3姉妹に美味しい果物や野菜を分けてくれたり、先週は妹と一緒に熊本に行ってくれたり・・・。彼女の生き方、苦しい、損した、ガマンしている面影は全然ない。

もしかして、レモンは明るいオレンジ色だから?あの果物、黒かったら、彼女の性格も、もっと暗かったかも?

全然関係ないよね。

ジャーナル 6 なんで?

  「今晩は何をしようかナ・・・」

父の古い時計はカナダ各州の旗入りで、きれいだったけれど、とっくに動いていない。電池切れだったら、またうごくかも。裏を見てみようっと。アレ、何か引っかかっている。強く引っ張ったら、上に飾ってある賞状が落ちてきた。ビックリした自分は、時計を落としてしまった:足の上に。

痛!足の指の関節に時計が角で直撃した。あたまでヒーヒー言いながら、台所に行って氷がないか、何か冷やすものはないかと、探した。

沖縄に来たばかりだから、薬があるはずはないし、あ、氷があった!必死に氷をビニール袋に入れて、タオルで包み、足に当てた。ちょっと時間が掛かったので、既に腫れが見える、青くなっている。

神様、なんで?父母の導き・沖縄宣教の働き・神様、あなたの素晴らしさを知らせる為に一生懸命になっているつもりなんだけど、コレ、何のため?分からなかった。

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今日、思った。この間、父の最後の説教が読みたいとの願いが叶えられたというブログ(9月14日)のメッセージを、今日、そのまま載せることにしよう。だって、この足では、どうせ、あまり動き回ることができないし。もしかして、神様の一つの目的は、それだったかも。

ああ、その話?実は、父が「魂の価値」という説教のことを分かち合ってくれたことがあって(それは2006年だった)、数か月前、何となく、それがまた聞きたくなった。(父に送ってもらったメッセージは、2011年の震災引っ越し後なくなって、聞いていない。)

自分は、「主よ、あの説教、また聞けること、絶対ないよ・・・ネ」と、祈って、6月のアメリカ旅行に出かけて、そのまま忘れていた。家に帰って来たら、沖縄に引っ越すことになっていて、沖縄に着いたら、防音工事のあと始末のために父の書斎がメチャクチャになっていた。

先週、部屋の隅っこに、元の場所に戻されていなかったフォルダーを見つけて、片づけようとして、中身をちょっと見た。古いメッセージだった。父はメッセージのアウトラインを普段手書きでするけれど、このものは、白い紙に、タイプライターで打たれていた。2006年の「魂の価値」だった。

ジャーナル 5 今日はガクの話・・・


「 主人は早く店から帰ってこないかな・・・」自分のあの絵を補強したら、ベッドルームの壁にかけてくれると言ってくれたので!

「あの絵」?アクリルペインティング2枚を沖縄に持ってきたうちの一つです。

捨てられそうな賞状の額を取って、ホラ、素人のアートもよく見えるでしょう。


ここの家を「沖縄宣教」の写真博物館から一家の住まいへと、変えたいと、思いました。きちんと整理しながら写真を全部下ろして片づけています。その内、少しはこれから使うタンスに並べた。昔、子供が小さい時の写真3枚だった。アメリカの従妹たちと沖縄の辺戸岬で撮ったものもあった。覚えているかな。

嬉しかったのは、主人が岩槻から沖縄まで持ってきた2枚の絵。1枚は父の日にプレゼントしたコーヒーのアクリル絵。そして、あとで、描いた散歩のスケッチ。自分は、そこらへんの額を見つけて、その絵を入れて、枕もとを飾ることにした。そう、そう。自分が岩槻から持ってきたぬいぐるみのカメちゃん2匹と一緒に。その話は長くなるから、ここではしない。

掃除・絵のことを色々しながら、分かったことは、自分と息子ケイマは、イノシシ年生まれ。そう。自分は、最初はイノシシって怖いし、性格がアライ、あまりよくないと、自分の干支は、ちょっと恥ずかしかったけれど・・・息子と同じか。ま、いいや!赤ちゃんイノシシのイラスト自分が描いたものを額に入れてピアノの上にのっけた。ケイマ、喜んでくれるかな?

一日終わったら、壁にあった絵のほとんどが、母の元書斎に重ねてあった。



だけど、いたたたたた、「なんで、重いものは今日一つも持たなかったのに、腰がスゴク痛いの?」と、息子に聞いた。今日の仕事の成果は、あの部屋だけじゃなかった。テーブルの上を指した息子は教えてくれた。ネジを何本抜いたり、イスに登ったり、物を拭いたり動かしたりしたからね。今日は結構運動していたと。

そうか。沖縄では育って、その時の自分は若かったけれど、今の体はお婆ちゃんなんだ。この長年の守り・導きを思いながら、風呂に入ってゆっくりすることにした。いたたたたたた。 

ジャーナル 4 沖縄から

  「やっと」と言うべき?「ただいま」と言った方がいい?



29日の午前中大宮のホテルを出発し、リムジンバスで羽田空港まで行きました。乗客は私たち斎藤家3人と、あと一人。台風のため、多くの旅行は欠航になって、空港行きの人は、この様に少なくなったと思う。


掲示板とにらめっこしながらチェックイン。だけど、那覇ゆき便はOK。


そして、気が付いたら、那覇空港到着!ついてから、日本本土に台風で大変なことになっているときいたけれど、なんだか、神様が抜け穴を作ってくれたような気がして、すごく感謝。

バングラデッシュ旅報告

金曜日で、サアヤ姉が結婚してから2週間になる。早い!姉が結婚式のために行ったバングラデッシュ旅の報告が今朝だった。それを、オンラインで見させてもらったけれど、今回は、その時に姉が皆に見せてくれた写真を数枚載せます。写真の質は、全然悪いと分かるけれど、この間のサアヤのプレゼンテーシ...