2026年5月23日土曜日

カラスにおそわったこと

 どうしょう。赦したと思ったのに。心の中に、またあの思いがグイと「よみがえった」!

ずっと前のことだったのに、一言で、全部かえってきてしまった。自分に何が言われて、その時の気持ちと反応・・・ああ、十字架の贖い、全てを覆う神様の愛と恵みで解決されたと思ったのに!でもこの苦い気持ちが、スグまた返って来た。どうしょう、どうしょう。このように罪におびえていた。

この間、散歩のときに見たカラスの姿が見えるようだった。

「ホラ、そこのちっちゃいカタツムリ。」と、カラスが言っているようだった。

「あいつ、徐々に広がるスイレンの花びらが怖いんだ。」

自分は思った。スイレン?電信柱のカラスに伺った:「近くに池があるの?」

「いや実は」と、カラスは下を見るように頭をコクッとうなづいた。大きな土鍋みたいなものに水・スイレンの葉が貯めてあったのだった。

私たちは、大きく見える壁に悩まされているかもしれないけれどーーいくら赦したと思っても、天国につく日まで、肉の弱さのため十字架の贖いが必要、人間はまだ「ちっちゃなカタツムリ」だから!だけど、カラスでさえ土鍋の水たまりは小さく見えるぐらいだから、無限の神様は、私たちのどんな大変な問題でも、はっきり見える、困難に感じるはずがない。

自分の、なかなか赦せないという、心の大きな問題は、どうしてくれるのかな?

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなた方に肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)

じゃ、このちっちゃいカタツムリ、心のことは毎回委ね切って、あとをついていきます...

シーフェルト先生

「来年、ジューンのクラスは、とてもいい先生が教えるそう。」と、ある日母が言ってくれました。「ジューンの6年の先生は、 Seefeldt先生、ジューンみたいに、宣教師の子供なの。インドのベテラン宣教師のこどもだったのです。 ジョイス、小6の自分、ジャニス シーフェルト先生は、何かズ...